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日本初の編物教科書「童女筌」とその時代背景

童女筌について

童女筌とシェットランドウール「童女筌」は、日本で初めての編物教科書である。「童女筌」は二巻二冊の教科書で、明治九(1876)年七月に第一巻、は明治十(1877)年一月に第二巻が文部省によって刊行された。つい筆が走って、「童女筌」を「編物教科書」と書いてしまったが、「童女筌」は、遊戯、歌謡、玩具、などのゲーム的なものから、植物学まで非常に幅広いテーマを扱った本であり、編物専用の教科書というわけではない。1983年2月に「近代体育文献集成」第16巻・第17巻として復刻されたときの巻名が「遊戯1・2」であるところを見ると、少なくとも後の世からは「童女筌」は遊びの本とみなされていたようである。

「童女筌」は、国会図書館に第四版までの蔵書があるようだが、複写禁止の厳重保管書籍であり、私たちは見る機会はないものと思っていた。ところが、最近になって奈良女子大学図書館に「童女筌」全二巻が画像データベースとして保管、公開されているのに気がついた。このような書籍の原本を自宅に居ながらにして見ることなど、以前なら考えられなかったことで、インターネット時代のありがたさを痛感した。もちろん、画像のデータベース化という面倒な作業をされた奈良女子大学の関係者の方々にも深く感謝したい。以下のリンクはすべて、この画像データベースに対するものである。

「童女筌」を文部省が刊行するに至る経緯に関しては、よく分からない。文部省の創設は明治四年であり、次の年の明治五年には学制が発布されている。しかし、当初は教科書の整備は遅れており、民間の書籍を教科書として採用していた。明治維新によって倒幕を果たしたものの、新しく近代国家を建設するにあたって、その国家イメージはまだ流動的だったようだが、明治七年から明治十二年頃、文部省はイギリス・アメリカを西洋文明の模範としていたようである。この時期は、内閣が発足しておらず、文部大臣はいなかったが、田中不二麿が文部大輔として、文部大臣の職責を果たしていた。田中は、アメリカおよびヨーロッパ諸国の教育事情を視察、帰国後の明治十二年、国家統制的な学制に代わり、教育の自由を大幅に認めた「教育令」を発布する。しかし、就学率の低下などの批判を受けて、田中は職を退き、翌明治十三年には早くも「教育令」は改正され、これ以降、教育の国家統制色は強まっていく。「童女筌」はまさに田中が文部大輔にあった時期に刊行された教科書である。ただでさえ教科書が未整備という時代にあって、ゲームを取り上げた書籍が文部省の教科書として刊行されるというのは、現代の感覚としては違和感があるが、「童女筌」は当時日本の近代国家像として、イギリスやアメリカを規範とした民主主義国家をイメージしていた時代を彷彿とさせてくれる教科書ではないだろうか。

「童女筌」は、翻訳本であり、序文を読むと原本は「エル、ファレンタイン女史」の「ゲアルス、アウン、ブック」であると書かれている。「ゲアルス、アウン、ブック」はおそらく "Girl's Own Book" のことであろう。「女の子のための本」とは抽象的なタイトルだが、内容があまりに百科的なため、他にタイトルのつけようがなかったのかもしれない。「筌」というのは、魚を捕らえる竹篭のことだが、原書にはそういう意味の単語はないようである。(まったくのあて推量で、素人のかんぐりかもしれないが、遊びに見えても実はこれは躾なのだという言い訳の為にこの一字を入れたのではないかと想像するとちょっとおかしい。)

この英語の本を翻訳したのは、オランダ人の「ファン・カスヲール」である。まだ、英文邦訳できる日本人はほとんどいなかったのだろうか?考えてみれば、夏目漱石がイギリス留学したのは、四半世紀後の明治33年のことである。近代国家建設の礎をなす教育制度確立というのが、どれほどの難事であったか、今からでは想像もできないことかもしれない。

さて、「童女筌」で取り上げられている手芸を見ると、まずそのバリエーションの豊富さに圧倒される。「クロシェー」(かぎ針編み)、「パッチウォルク」(パッチワーク)、「マルキング」(文字刺繍)、「ニッチンク」(棒針編み)、「羅鋼工」(現在の手芸では何か不明)、「縫紋術」(ステッチニット風?)、「タッチング」(タティングレース)、「スゥタッシェ」(??)、「玻り工」(ビーズ?)、「アップリケー」(アップリケ)、「繍飾」(刺繍)。

あまりに沢山の種類を詰め込んだせいか、一つ一つのの手芸の解説部分を読んでも、果たしてこれで指導ができるのか?と思うほどのアバウトな記述しかない。ともかく「ニッチンク」(棒針編み)のところを読んでみると、棒針編みはここでは「編製」という名前をつけられている。まだ訳語が決まっていない状況なので、翻訳の苦労が想像できる。

「ニツチンク」編製
この、編製と称するものはメリヤス編みなどを編むもので、実に有用な針仕事である。必要とする道具は、鉄製・象牙製・骨製・木製の針と綿糸・絹糸・毛糸などである。編製用の針は数種あるが、色々なものを編もうとすれば、その物に合った針を用いる。編製の素材、例えば絹や毛や綿など、その性質を考え、それに適合する針を選ぶことが必要である。一般の編製の方法は、普通は針を二本だけ使う。膝当てや靴下のように円形に編製するものを編む場合は、3・4本または5本の針を使う。図99は、編針の大きさを表現したものである。そして、図中の黒丸は鉄製針の大小と番号を示し、白丸は象牙および木製の針の大小と番号とを図示している。「カスチング」と称する言葉は、つまり針上に最初の一列を作って編み始めることを言う。図100でその方法を見るべし。

以下、「カスチング」(作り目)を解説しているのだが、その内容と挿絵を読むと、いわゆる「指で掛ける作り目」だが、手法は今のやりかたではなく、「サムメソッド」である。これは、この本の著者がイギリス人だということと合致する。棒針の持ち方も、イギリス風のペングリップだし、金属製と木製とで別の棒針号数を使うのもイギリス的。

次に減目の仕方、「デグリーシング」の部分を原文で紹介する。(ただし、漢字は新漢字。)

「デグリーシング」即チ減損ト称スルモノハ其方法二種アリ一種ハ即チ二個ノ針歩ヲシテ一個ト做サシメ以テ編製スルナリ他ノ一種ハ更ニ編ムコトヲ用ヰズシテ唯針歩ヲ取リ編目ヲ脱過シテ通常ノ方法ヲ以テ針歩ヲ編ミ叉其最初做ニシタル「スチツチ」即チ編目ヲシテ第ニノ目ノ上ニ脱離セシムルナリ

最初が左上二目一度、次が右上二目一度の説明だろうが、いったいこれで分かる人がいただろうか?次の「カスチング・オツフ」なる技法はそのまま載せよう。どういう技法かは、読めば分かる!?

「カスチング、オツフ」ト称スルモノハニ個ノ針歩ヲ編ミ左手ニ持ツ所ノ針ヲ以テ第一ノ針歩ヲシテ第二ノ針歩ヲ踰エシメ以テ之ヲ離シ遂ニ排列ノ極ニ至リテ後止ムベシ

私たちが、「童女筌」を読んでいて一番驚いたのが、第二巻「略語」の章だ。ここで、「色々と便利なものを編む際に参考となるように、新聞・雑誌・編物参考書が発行されている。」と書いた後で、次のような記述がある。

夫レ略語ト称スルモノハ即チ種々ノ針歩ヲ表スルニ至簡至要ナルモノニテ是等ノ針工ニ於テハ須ラク常ニ略語ノ記号ヲ認識シテ模形ヲ造ルノ一助ト做スベシ小童女輩必ズ次条ニ記載スル所ノ略語ヲ学ブヲ最モ簡易便捷ノ法ト做ス即チ略語ノ表左ノ如シ

K1  平ヲ編ミ一ヲ為セ
P2  「プル、」ニヲ為セ
M1  一ヲ増セ一ヲ為セ
D1  一ヲ減ゼヨ
SL1 一ヲ離セ
K2t ニヲ編ミ着ケヨ
T   転倒セヨ
THO 掛ケ越セ
TK  綯タル編ミ針歩
TP  綯タル「プル、」編歩

これは、なんと英文テキストパターンの略号の説明だ。すでに、このころ英文パターン略号は現在のものほぼ同じ形式に確立されており、それが海外では新聞雑誌や趣味本で利用されていたことがわかる。しかし、日本でこの略号によってパターンが紹介されたり、学校教育に利用されたことがあるのか?よく分からない。しかし、現在の日本の大学で、通常の授業が英語で行われることはまったくないが、この当時はあらゆる授業が外国語でなされていた。それを考えるとこの当時、英文パターンによる授業がなかったとは言い切れないだろう。現在の日本で一般的に利用されている編目記号は、後にイギリスではなくフランスからもたらされたものではないかと思われる。

「童女筌」では、編み糸の素材にもページが割かれており、刺繍用毛糸やレース糸、または「アンゴラ」「チベット」「ヴィゴニア」などの獣毛とおぼしき素材にも言及されている。特に、この毛糸に対しては絶賛とも言える記述が見られる。

「シートランド」毛(「シートランド」ハ英国ノ一島ノ名即チ此ノ島ヨリ出ツル毛)ハ極メテ美麗ニシテ其綯リ方甚タ密ニシテ其質軽量ナリト雖モ堅硬ニシテ恰モ鉄線ノ如シ故ニ此毛ヲ以テ製スル所ノ織物ハ仮令組糸ト做スニ薄シト雖モ其実ハ硬ク且ツ強クシテ上盖衣婦人ノ手套及ヒ肩巾等ニモ必用タリ

これはシェットランドウールの記述のようだが、「極めて美しく、綯いが密で、軽いにもかかわらず鉄線のように強い。この毛糸で作った織物は縫糸のように細くても丈夫で、上着や女性用手袋やショールに使える」という記述は、シェットランドウールをレースウェイトに紡いで編んだ手袋やショールを思い起させる。やはり、イギリス人としてこの毛糸は自慢したかったものかもしれない。ちなみに、すべての糸種類が判読できているわけではないが、スペインの至宝メリノ種ウールに関する記述は見られないようだ。

童女筌は、後に「遊戯書」のようにみなされたようだと最初に記したのだが、教科書が未整備のこの時代にあってなぜわざわざ「遊戯書」のような書籍を翻訳しなければならなかったかというのは謎に思える。しかし、当然のことながら、原書は遊戯本ではなく教育本である。純粋なゲームブックだとすればいくらなんでも文部省が教科書として翻訳するはずがない。序はこの本の目的を次のように記している。

およそこの世界にあっては、人の栄華盛衰は限りがない。だから若い女性はまず、どのようにして人の役に立つかをよく考えなくてはならない。また、奥深い技芸の世界で身を立てようとするのなら、よく練習して至高の地位をめざすべきである。 人民の自由が保証されている我国では、巧妙な技芸、精緻なデザイン、威儀ある作法を学ぼうと思ったら、他の大事な仕事をした上でも学習する時間がないわけではない。またどの国であっても、低俗な仕事に付いているならその義務を果たさせるため、高貴な地位にある人ならますますその地位を盛り立てていくためにも、良い教育をすることはとても重要である。

これを読むとかなり堅苦しい教育本のようだが、その内容は今見ても教育書と言うよりは実用書のように思える(ここに当時アメリカのプラグマティズムの影響を見るのは穿ちすぎだろうか?)。長い鎖国の後の日本人にとって、西洋文明は遊びも含めて全てが輝いて見えたことだろう。そして、まずはイギリス・アメリカで教育書として作られた Girl's own book を日本の教科書として翻訳、出版した。それが童女筌である。 しかしその後、政府はイギリス・アメリカを手本とする民主主義国家ではなく帝国主義的な国家建設を目指し、教育方針も改正教育令、教育勅語の発布、と修身を基本とした堅苦しいものとなってゆく。このような変化のなかで、はたしてどれくらいの期間「童女筌」が教科書として利用されたのかについては残念ながらよく分からない。

しかし、「童女筌」で紹介された編物は社会に徐々に広まっていき、日本文化の中に根を下ろすことになる。とはいえ、それが口銭を稼ぐための内職としてのものか、「童女筌」が描くような人間の自由な感性を広げるための教育的・文化的な手芸としてのものだったのか、という疑問は残る。

なによりも、日本人にとっては編物の素材としての羊毛は高価なものであり、おいそれと子供の竹篭に入るようなものではなかった。童女筌が絶賛するカラフルな「シートランド」毛に至っては、それが日本の童女の遊戯用に使われるまでには、この教科書の発刊から後、数度の戦争を含む一世紀近い歳月が必要だったのである。



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