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古代から中世の編み物 ホームへ
The Old Hand-Knitters of the Dales 第一章 の邦訳

はじめに

編み物の歴史について興味のある人は結構いるのではないかと思いますが、書いてある本がなかなかない上、苦労して探して読んでみても、きちんとした記述がある本はほとんどありません。たいていは、根拠も不明な又聞きや孫引きという感じの内容で、年代の過ちも多く、紀元後の発掘物がなぜか紀元前数千年になっていたり、推定に過ぎない説を事実のように書いていたり、ひどいときには根拠もなく勝手に自分達の文明が発明したというような記述を書いていたりします。日本語の本の場合、「編み物」という言葉の範囲が広いので、定義をしっかりとしなければならないのに、編み物の技法に詳しくないと思われる著者の場合は、それ自体が期待できません。

日本語で書かれた本では、ずばり「編み物の歴史」(日本ヴォーグ社,1979)という本があります。これは翻訳本で、原著は 'The Art of Knitting' です。原題に History という言葉がないことでわかるとおり、この本は歴史書ではなく、古い編み物断片をイメージして作られたニットの作品集なのです。もちろん編み物の資料に関する説明の中で歴史にも触れられていますが、厳密な考察ではないと思います。英語圏の人間は文章を書く際に、常に「事実」と「意見」とを明確に区別する訓練を受けると聞いていたのですが、この本の歴史に関する部分は事実と意見・推定・想像がないまぜになっていて、何を根拠になぜそういう推定をするのかが曖昧模糊としており、とうてい学術的な文書として必要な記述スタイルをとってはいません。もちろん、この本の著者たちは歴史家でも学者でもなく、デザイナーであり、編み物の歴史を取り上げるのは、作品のイメージを膨らますきっかけという感じですから、あまり著者の責任を追及するのは酷だと思います。

英語では、"A History of Hand Knitting" (Rechard Rutt,1987)という本があります。編み物の歴史としては現在のところ最も包括的な本です。しかし、これはあまりにも大著で読み解くのは大変です。この本の著者、ラッツ司教も編み物の歴史に関して、それまでろくな参考書がないことには苛立ったようですがここで紹介する"The Old Hand-Knitters of the Dales" に関しては上著の中で「真剣な研究」と賞賛しています。

私達もこの本の第一章「古代から中世の編み物」を読んでみて、わずか4ページ半という短い章の中に、編み物の歴史に重要な発掘資料と現在の保管場所、参考文献が的確に提示されているのに驚きました。今から50年前の本ですが、事実関係において、現在でも修正を要するところはありません。(ただラッツ司教は、3世紀のデゥラ遺跡から出土された断片は nalbinding という手法で編まれたもので、knitted structure ではあるが、今日の knitted fabric とは別物という判断をしています。) ほとんどの本では、アランには数千年の歴史があるという、今では誤りとみなされている俗説が必ず書かれているのですが、この本は英国の著者でありながら、この誤りを記述していません。この一点を取ってみても、著者達の学術的な態度が分かると思います。 本の主題から、内容英国中心になっているのはやむをえないと思いますが、この本の第一章は編み物の歴史について、現在でも最も信頼の置ける要約だと思います。

著作権・翻訳権

'The Old Hand-Knitters of the Dales" は1951年の著作ですが、著者の二人は1989年に発行された「海の男達のセーター」(とみたのりこ,日本ヴォーグ社)で対談記録がありますので、もしその後亡くなっていたとしても、死後50年を経てはおらず、日本でも著作権は切れていません。しかし、いわゆる「10年留保」により、この本が1961年までに日本語に翻訳されていなければ、日本での翻訳権は消失します。詳しく調べてはいませんが、状況から考えて翻訳本が出版されている可能性はまずありません。したがって、著作権はありますが、日本語に翻訳するのは自由に出来る状態です。ただし、挿絵を使うには、著作権が関係します。挿絵の作者名がないので著作権の期限が、発刊後50年ということであれば、すでに2002年ですので著作権が切れているようですが、残念ながらイギリスは第二次大戦中に日本と戦争状態にあった国ですので、3794日の「戦時加算」があり、著作権が切れるのは(もし切れるとしても)残念ながらまだ10年以上先です。しかも、おそらくこの間に日本でも英米と同様著作権の保護期間が70年に延長される恐れがあります。したがって、挿絵はこのページでは使えません。 また、言うまでもないですが、原文とは関係なくこの訳文の著作権はたた&たた夫にあります。

「編み物」という言葉について

ここでは、「編み物」という言葉を英語の knit の訳語として使っています。したがって、以下の記述では「編み物=knit」 として読んでください。(ややこしいことに「ニット」≠"Knit"です。)日本語の「編み物」というのは非常に範囲の広い言葉で、かぎ針編みやアフガン編みはおろか、篭や籐製品も編み物の一種となっています。そこで、例えば本文の記述で「前史時代の編み物資料は発見されていない」というところを読むと、日本では縄文遺跡から沢山の編み物資料が出土しているのでおかしいと思う方もいるかもしれませんが、その「編み物」はムシロや竹篭のようなものであって、knitted fabric ではありません。knit は、現代英語では「棒針編み」だけをさし、かぎ針編みは crochet として区別されます。もちろんムシロなどは含みません。したがって、「編み物」をすべて「棒針編み」と翻訳してもよいのですが、この言葉は説明的でうるさくなるため、「棒針編み」という言葉は最小限にとどめました。ちなみに日本では、棒針編みとかぎ針編みはどちらも同じくらいポピュラーか、もしかするとかぎ針編みをする人の方が多いくらいかもしませんが、世界的に見ると(少なくとも英語圏では)圧倒的に棒針編みのほうが一般的で編み物人口も多いのです。このことは編み物作品にも影響があり、日本の編み物ですと棒針編み作品でも部分的にかぎ針編みを使ったものがよくありますが、洋書作品ではそのようなコラボレーション作品はほとんどありません。ちょっと脱線したかもしれませんが、ともかく海外では「ニット=棒針編み」は日本のように編み物の一種ではなく、別格の工芸で、愛好者も多く、興味の対象としても根強いということはこの本を読む背景として役に立つと思います。くどいようですが、ここで研究対象となっているのは、あくまでも「棒針編み」です。


この文書は、Marie Hartley & Joan Ingilby 著の The Old Hand-Knitters of the Dales 第一章 Knitting in Early Times の邦訳です。

第一章 古代から中世の編み物

現代において、綿密な研究もされず、検証された事実が記録されているまともな教科書が一冊もない という研究対象が見つかるということは、(断言は出来ないが)ちょっと異常なことである。 しかし、どの図書館に行って内容別索引の「編み物」のページをめくってみても、そこには女性雑誌しか 載っていない。これらの本には沢山の編図が描かれているが、その歴史についてはほとんど記述され てはいない。百科事典の記述も貧相そのものである。「オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリ」には、沢山の興味深い参考文献が載っているが、その起源に関するものは皆無である。 'knit'という言葉は英古語の 'cnittan' から派生したということは、この動詞の一般的な意味を知るには 必要であっても、編み物という手芸の内容を知るには不要な情報である。

ウィリアム・フェルキンは、最初は靴下類の取引に、後にはレース製品に関わる人物で、憲政委員会に対して組織化されたニッターに関する証言を残している。彼は、編み物の歴史に関する研究を始めて、1845年に発行された二つの新聞上で短い記事を発表している。また、1867年に「機械編み靴下類と、レース製品の歴史」という本を出版しているが、第一章は手編みの記述である。この本は後に多数の執筆者から参照されることとなった。1882年にコールフィールドとサワードによって出版された「針仕事事典」は、その時点で知られていた -- あるいはそう信じられていた--非常に多くの事実や伝統に関する記述を載せている。近年の事実関係の一覧は、メアリー・トーマスの「編み物パターン集」に見られる。ここでは、無数の素晴らしいパターンが徹底的に記載されており、この中の写真やいくつかの編地に関する説明は、色々な時代における様々なパターンの発展を理解するには興味深い資料である。

編み物の起源はいまだにはっきりとしない。昔から織物の次に重要であった編み物は、ほとんど語られることなく、また遺された資料にも乏しいので、全貌を明らかにするためにはまだ多くの研究の余地が残されている。この小冊子では、ヨークシャーとウエストモーランド地方の手編み産業の詳しい記述にページを割く関係上、編み物の一般的な歴史に関しては簡単な要約しか記述することができない。

古代文明の日常生活に関しては、世界中の遺跡から道具・陶器・布地などが発掘され、それらを繋ぎ合わせて知ることができる。紡ぎ用の円盤と粘土製の織機用重りによって、紡ぎと織りの歴史は遥か石器時代にまで遡ることが確認されている。英国においては、青銅器時代のビーカー族まで遡ることができる。しかしながら、骨製の針が発見されても、それは様々な用途に利用可能なものであるため、前史時代の人が編み物をしていたという証拠にはならない。布地が発展したのは、古代エジプトからである。デンマークで、青銅器時代初期にあたる紀元前3000年頃の墓から発掘された樫製の棺の中から完全な着衣が見つかっている。将来、考古学者が新しい発見をする可能性はあるが、これまでのところ前史時代から編地は一切発見されていない。

伸縮性を備えた素材を作る最も初期の技法は、「スプラング」または「ブレーディング」と呼ばれるもので、編目のようにゆったりと織ることもできるが、ガードルや靴下などの幅の狭い素材の場合は細かく織られた。 ブレーディングは、エジプトで発達し、青銅器時代のデンマークでは「エジプトのプリーツ技法」として知られていた2-1。これは、西暦905年から916年の聖カスバートの法衣にも見られる。この編地は表裏があることで棒針編みに似ている2-2。 魚網は、すでに石器時代に知られていたが、一本の連続した糸を使う点で、棒針編みに通じる。さらに、重要な組成上のポイントは、糸を丸く巻いて一重結びで縛ることであり、昔の人々には伸縮性のある素材として用いられた。この技法は、多くのバリエーションがある。例えば、スウェーデンのバントソムという技法を使ったミトンはヴェステルイェトランド地方で見られる。これは、紀元後数世紀まで遡ることができる2-3。しかし技法に幾つかの類似点が見られるとしても、これらを棒針編みと呼ぶことはできない。

時代が判定できる最も古い編み物の資料は、3世紀のものである。3つの断片が、西暦256年に滅びたシリアの都市ドゥラから見つかっている2-4。また、黄褐色のウールで編まれた小さな帽子がエジプトのバナサの墓から出土している。三つの断片のうち、二つはボーダー柄になっている。三つめの断片は未染色のウールを使い、単一の編目で緻密に編まれている。帽子は、アルバート美術館にほかのコプト編み物と一緒に保管されている。それらは、爪先が別れた赤い靴下、青いウールの靴下、緑と黄色のバッグ、赤と黄色のストライプの子供用靴下、などで4〜5世紀のものである。 これらの古代の編み物を見るとその素晴らしさに驚く。特に靴下は大きな爪先が別れているところを除けば、現代の短い靴下として通用する。また、その色使いは絶妙である。一つの靴下は小さな四角い編地で継ぎ当てられている。技法は「東方式ねじり編み」と呼ばれる、編み針を裏編みを編むときのように裏側に通して表編みを編む技法を使っており、現在の棒針編みとまったく同じではない。古代においては、編み針の先はかぎ状になっていた。メアリー・トーマスは、12世紀のトルコの墓から発見された編みかけの靴下について解説している。

これ以外に、初期の編み物として、ペルーのナスカ初期のものがあり、時代も紀元後すぐというコプトと同じ時代のものである。これは特に緻密に編まれたもので、特殊な形の立体編みとなっている3-1。編み物の技法は、シリアとエジプトを起源として各地に広まり、おそらくムーア人やアラブ商人によってフランス・スペインに達したものと推定される。編み物産業はフランスで発展し、手編み職人は1527年に聖フィアークルを始祖としてギルドを形成した。

編み物がどれくらい早くからイギリスで知られるようになったかは、まだ分からない。もっとも早く文献に現れるのは、おそらく1320年に、一組の'caligae de Wyrstede'(膝当てかゲートル) at II1/2d. がオックスフォードの財産目録に記載されたものであろう。これらは、ソロルド・ロジャースの「イギリスの農産物と価格の歴史」に記載された。彼はこの本で編み物と思われる品物を取り上げている。この時代、ウール製の衣服は下半身を覆うものとして広く使われていたが、まだ特別な名前がつけられてなかったので、この証言はおそらく正しいと思われるが、確定的ではない。

スカンジナビアでは、現在までに分かっている範囲では、編み物は17世紀までには見られない。最も初期の編み物資料はノルウェーにシルク製スカートが6着残されているが、これに関しては後述する。ノルウェーの幾つかの地区とスウェーデンでは、ブレード編みが残っている。これは、靴下を編む前に、脚の周りに細い紐を括り付けて作られ、このような辺境の地区では、今でも編み物のことを「括り物」と呼ぶ。スカンジナビアというと、一般に模様のことが浮かぶが、もちろんそれ自体が重要な研究対象である。編み物の様々な応用は、模様編みと多色編み込みで得られる。前者は、工芸の中で長い歴史を持っているフィッシャーマンセーターがその例である。後者は、14世紀から15世紀のエジプトの資料が有名なフェアアイルニットに似た多色使いのデザインとなっている3-2。実際、フェロー諸島、フェアアイル、スカンジナビア、ロシア、ユーゴスラビアのパターンはお互いにかなりよく似ている。ユーゴスラビアでは、現在に至り、過去最高の「色使い、デザインの面白さ、比類なき精緻な工芸技術」の編み靴を作ることができるようになった。4-1

中世の編み物として、イギリスにはオックスフォードのウィンチェスター大学におそらくスペイン製と思われる一組の絹製の赤い手袋が残されている。この手袋は、大学創設者のウィンチェスター主教、ウィカムのウィリアムが1386年の大学創立式ではめていたものである。手袋は、細かなメリヤス編みで編まれており、指の付け根部分に金糸の帯があり、手の甲部分にはI.H.S.の文字と放射状の刺繍がある。手首部分は緑の八つ葉をかたどった模様編みになっている。4-2

年代は下るが、これと似た聖職者の衣服が1855年にスコットランドのハイランド地方のフォートローズにある教会跡の墓の中から見つかった。黄色がかったカーキ色の小さな編み物の断片は、現在スコットランド国立古代博物館に保管されている。博物館の専門家はこの断片を1545年に死去しフォートローズに葬られたケーンクロス司教の絹手袋の一部とみなしている。 特に興味をそそるのは、発見時の記録によると、この手袋とよく似た長靴下が遺体に履かされていたということである。4-3 ウィンチェスター大学の手袋などは、明らかにフランスかスペイン起源であり、これがイギリスの絹靴下の存在を示す最も古い証拠である。 1488年に制定されたリポンの法令の一つが、「編んだ帯」に関して言及している。 エドワード四世が編み物の衣服を持っていたことは分かっているが、ヘンリー八世の妹のメアリー王女は二組の編み靴下を利用していた。同時代のストーはこう証言している、ヘンリー八世は「布製の靴下か、広いブロード布をL字形に切り抜いたものか、非常に幸運な機会があれば、スペイン製の絹靴下を履くことができた」。 ある年のヘンリー八世の財産目録の衣装の部には「クリストファー・ミニオネアより購入の一対の白い絹と金の靴下」と言う記述がある。ノーフォーク、ハンスタントンのトーマス・レストランジ卿の1553年の家計簿には一組の編み靴下に 8/- 、子供の靴下に 1/- の支出記録がある。4-4

次に現れるのは歴史的に有名で、夥しい書籍に引用されたハウエルの「世界の歴史」には、1561年に女王の衣装係であったモンタギューという女性が女王陛下に一組の黒い絹靴下を献上したところ、「それ以降女王は布製靴下を履かなくなった」と書かれている。 この靴下については、J.ニコルスが1823年に書いた「エリザベス女王の発展」の中にある1561年の女王への献上品リストでは確認することが出来ない。しかし、その年に女王は何足もの「絹製編み靴下」やその他の編み物製品の献上を受けている。1588年にヴァーンは、「一組のシルクストッキング」を献上した。また、女王へ金貨の入った絹の財布を献上することも流行した。ハットフィールド館には、女王への献上品として作られた黄色の靴下が残されている。

16世紀から17世紀にかけて、編み物は極めて高度な工芸的洗練を見せる。アルバート美術館に保存されている、3つの17世紀イタリア製の編み物は細かい多色使いの絹製で、(うち2つには金糸も使用されている)は、花模様と錦織風に編み上げられている。大英博物館にはチャールズ一世のベストが保管されている。これは青い絹製で細かな模様編みである。ベルゲン博物館に一着、オスロの工芸博物館には3着、素晴らしい17世紀の婦人用スカートがあり、これらは斜めチェックと星模様のオールオーバーパターンで、靴下は裏編みになっている。背景の模様は絹の色糸で刺繍された素晴らしい花模様となっている。

ここまでが初期の編み物の概要である。次章では、英国における編み物産業の組織化と発展について述べる。


2-1The Costumes of the Bronze Age in Denmark. H.C. Broholm and Margrethe Hald.
2-2The Tablet-woven Braids from the Vestments of St. Cuthbert at Durham. Grace M. Crowfoot.
2-3Ciba Review No. 63. Basic Textile Techniques.
2-4The Excavations at Dura-Europos. Part II The Textiles. R. Pfister and Lousia Bellinger. (This book gives the complete knitting pattern of the third fragment).
3-1Textile Periods in Ancient Peru. Lila M. O'Neale and A. L. Kroeber. (Pointed out to us by Mr. J. Norbury).
3-2Cotton in Medieval Textiles of the Near East. Carl Johan Lamm. 1937.
4-1Essays on National Art in Yugo-Slavia. 1944.
4-2see Archaeologia Vol. 60. Part 2.
4-3Proceedings of the Society of Antiquarians of Scotland. Vol. 1. 1855.
4-4Preface to Progresses of Queen Elizabeth. J. Nichols(1823).



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