ロゴ
Google  
Web このサイト内
English.gif

舶来毛糸の夢 - ユニオンの半世紀 ホームへ
神戸で半世紀以上輸入毛糸を販売してきたユニオンの歴史を紹介します。

union-rowancorner.jpg
ユニオンのローワンコーナー

2000年10月にユザワヤ三宮店ができてからというもの、神戸は関西で最も手芸材料の揃う場所となりました。大阪・京都はもちろん、遠くは岡山などから買い出しに来るという手芸ファンもいるようです。しかし、毛糸を買うためにわざわざ神戸に来るのなら、実はもう一つ見逃せない毛糸店があるのをご存知でしょうか。「土ヰ手芸店」?いいえ、今日ご紹介するのは「ユニオン」です。この店には、私達が愛用しているローワン、デビー・ブリス、フィルクローサなどがあるのです。

さて、異人館のある神戸でローワンやデビーブリス糸を扱う毛糸店、といえばどのようなお店をイメージされるでしょうか。たとえば、パイン材の棚にカラフルな毛糸が並べられ、机の上に北欧製の糸車がさりげなく飾られた、ゆったりとした手芸店でしょうか?突然ですが、ここは私達ではなく、東京の方に代弁してもらうことにしましょう。私達が上京した際、東京のローワンファン(かなり関西の毛糸店に詳しい方のようでした)と話をしていて私達がいつもどこでローワンの糸を買っているかという話になり、ユニオンの名前を挙げたときのことです。

「え?ユ・ニ・オ・ン?ユニオンって、あそこですよね。高架下の。靴屋の手前の。え?そう?やっぱりあそこぉ?え〜?ほんとにあの店でローワン売ってるですかぁ?え”〜〜ショックぅ〜。それってほんっっっっっっとにローワンですよね?Rowan の o が a とかになってませんよね?」

それだとローワンじゃなくてラワンだっちゅ〜の!失敬な!それじゃ私達がずっとパチもん(関西弁でニセモノの意。お上品な言葉ではないので、うかつにマネしないよ〜に。)掴まされてたみたいじゃないですかぁっ! ....と言い返しておけばよかったのかも知れませんが、後の祭りで、ついちょっと笑ってしまいました。

というわけで、ユニオンというのはこういう店です、って紹介にも何にもなってませんね。これでは怪しいお店というような印象を与えたのではないかと心配ですので、急いでフォローしますと、ユニオンの創業は昭和22年で、昭和30年創業のユザワヤよりも古く、しかも一貫して輸入糸を扱い続けて来た老舗です。ローワンやデビーブリスの糸が置かれているのは、実は偶然でもなんでもないわけです。

なぜ55年間輸入糸を扱ってきたことがスゴイのか、それを説明するにはまずこの商品がかつて持っていた印象を知る必要があります。ユニオン創業当時、まだ衣料品は統制下にあり、切符を持っていって特定指定業者で買うという時代でした。外貨もほとんどなく、羊毛の主要原産国であるオーストラリアの対日感情は最悪、という状況で、ウールはおろか綿製品でさえ簡単には入手できませんでした。

戦後から、かなりたった後までウールは貴重な素材で、例えば毛布でも「純毛」というレッテルは金色に光り輝き、それだけ紙箱入りという、まさしく八百屋のマスクメロン状態で売られていましたのを思い出します。それに加えて「輸入品」です。昔は「舶来品」という言葉の方が一般的だったように思いますが、この言葉もただちに高級品をイメージさせる言葉でした。ですから、輸入毛糸すなわち「舶来毛糸」というのは、この二つの高級イメージが合体!したもので、日本人の心をときめかさずにはおられないものでした。例えば、石原裕次郎が主演しているような当時の映画を見ると、お金持ちのボンボンは必ずといっていいほど白のとっくり(タートルネック)セーターを来て登場します。このイメージは、かなり長く続いたようで、「巨人の星」の花形満も伴忠太もとっくりセーターを着ていました。(二人とも自動車会社のオーナーの息子という設定です)毛糸をふんだんに使ったバルキーなタートルネックセーターがどれほど日本人の憧れであったか、今ではちょっと想像しがたいかもしれません。寒い冬でもぶ厚いセーターを着て暖かく過ごせる、それは文字通り「ぬくぬくとした生活」の象徴であったわけです。

戦後の焼け跡から今日まで一貫して輸入毛糸を扱い続けて来たユニオンの歴史は、日本人が舶来毛糸に憧れ、豊かな発色と手触りに驚き、軽さと暖かさを自慢し、そしてやがては日常のものとなっていく、夢の軌跡そのものと言っていいでしょう。


終戦 1945年(昭和20年)

8月15日、日本はポツダム宣言を受諾。ここに太平洋戦争は終結します。神戸の市街地は「少年H」や「火垂るの墓 」にも描かれた、同年3月17日の大空襲の際、B29による焼夷弾の絨毯爆撃を受け、灰燼に帰していました。ユニオンを創始する大西氏は、戦前は材木商を営んでいたのですが、これもすべて焼け尽くされていました。毛糸を扱うようになったきっかけは、よくわかりません。おそらく進駐軍の放出物資を手に入れたのがきっかけではないかと思われます。

創業 1947年(昭和22年)

union-view.jpg
創業当時のユニオン

この年の4月に、国鉄(現JR)三宮駅の南に「一心社」という毛糸店を開きます。これが後のユニオンの始まりです。当時は進駐軍物資と思われる原毛を仕入れたあと、店の2階でそれを染め、干してから販売していました。まだ、生乾きの毛糸を店に置くと飛ぶように売れたといいます。毛糸というのは、どのようなサイズの服にも仕立てることができ、また端切れのような無駄も出ず、必要に応じてほどいて編みなおせるという、布地にはない決定的な利点がありました。そのため、貴重なウールを生かすには最高の商品だったものと思われます。

国内毛糸の復興 1950年(昭和25年)

この年に朝鮮騒乱が勃発、「糸ヘン景気」と呼ばれるほど繊維業界は特需で好景気となります。 国内の手編み毛糸も「ダイヤ」「ビクター」「カネボウ」「スキー」などの主メーカが一斉に販売を再開します。 国産毛糸が発売されるようになると、手染め毛糸では価格・品質ともに太刀打ちできなくなるのは当然のことで、ここからユニオンは輸入毛糸の販売を始めることになります。ただ当時、どのように毛糸の仕入れを行っていたのかはもうよくわかりません。しかし場所は神戸ですから、港周辺になんらかの仕入れルートがあったのかもしれません。

union-swimsuits.jpg
ニットの水着を販売していた

この朝鮮戦争によって神戸港は活況を取り戻しつつありました。 現在では、船への荷物の積み下ろしは、コンテナシステムによって機械化されていますが、 当時はまだ荷役と呼ばれる港湾労働者の肉体労働力に依存していました。 荷役は、船の入港に左右される不安定な労働条件でしたが、いざ入港した際には一時に沢山の労働力が 必要となります。このため、いわゆる「人入れ稼業」として暴力団が暗躍するようになりました。 暴力団同士の抗争のための拳銃などを米軍から調達する、あるいは麻薬やヒロポン(覚せい剤)の密売、 米兵の暴行事件のようないわゆる基地問題、と活況の影で神戸は極めて穏やかでない雰囲気の 中にありました。

光が強いほど闇は濃い、とも言いますが一方に北野に象徴される高級な山手があれば、もう一方、 米軍第七艦隊の母港であった神戸港の六突(第六突堤)では自動小銃を持ったアメリカ兵の監視の元、 朝鮮戦争の戦死者や兵器を運ぶ荷役の姿がありました。

ビーハイブの登場 1953年(昭和28年)

union-front.jpg
高架下前のアーケード

この年からイギリスのペイトン&ボールドウィン社の「ビーハイブ」の輸入が再開されます。 ビーハイブは、業界で「トップ染め」とよばれる先染めの毛糸で、単調な染め上がりの 後染め毛糸とは違い、糸自体に独特なテーストがありました。 この頃はまだ、カセ売り毛糸が多かった時代でしたが、ビーハイブは俵型に玉巻きされ、帯が 掛けられ、セロファン紙で包まれた、現在と同じようなスタイルの手編み毛糸でした。 当時のアメリカ、イギリスの編物本を見ると、作品のファッションセンスに おどろかされます。ビーハイブはこのようなおしゃれ用毛糸の中でも、かなり有名で高級品で あったようです。

話は少し前後しますが、1950年4月12日、センター街に「ファミリア」が誕生しています。 ファミリアは現在でも高級ベビー服会社として有名ですが、「岡本の奥様方が始めた」会社として 当時からハイソな雰囲気でした。このファミリアのニットウェアに使われた毛糸こそ「ビーハイブ」 だったのです。

このような高級ベビー服の会社が神戸で成立したのは、岡本・芦屋を中心とした京阪神の高級住宅街の 存在が欠かせなかったのではないかと思われます。「田園調布に家が建つ」というのは往年の セントルイスのギャグですが、芦屋の高級住宅街の威容はそのようなギャグを寄せ付けないないほど、 圧倒的なものでした。

ユニオンの話によると、当時ビーハイブは「パープルフェザー」という製品が一般的だったそうです。 「パープルフェザー」は4Plyの毛糸でした。これでさえ、国産毛糸の倍の値段はしたのですが、 ユニオンで扱っていた「ビーハイブ」は通称「銀マーク」と呼ばれる高級品でした。これは2plyから3ply の細い糸だったということです。だんだんとビーハイブを扱う店が増えてきた後も、この「銀マーク」を販売する 店はユニオンの他にはなかったと言うことです。

当然購買層は、高級住宅街に住む奥様方だったのでしょう。西宮・芦屋・御影・六甲は言うに及ばず、 宝塚や京都からも買い求める客があったそうです。(神戸の人なら、これらが阪急沿線に一致することに 気づくでしょう。)

手編み機の普及 1955年(昭和30年)

union-in.jpg
毛糸を品定めするお客さん

このころから編機が急速に普及を始め、さまざまな編機メーカーが生まれてきました。 現在の大手で言えば、シルバー編機が昭和27年ごろ、ブラザー編機が昭和29年に 編機を発売します。したがって、国産毛糸の販売は中細毛糸が中心という状況になりました。 しかし、これは手編み愛好家にとっては、糸のバリエーションが少ないため、あまり面白い状況 とはいえませんでした。 その隙間を埋めるのが、さまざまな風合いを持つ個性豊かな輸入毛糸だったのですが、 実は昭和40年ごろまで、輸入毛糸の販売量はそれほど多くはなかったようです。

「あみもの毛糸いまむかし」(松下義弘,1986,日本ヴォーグ社)には、次のような記述があります

結局、戦前、それに戦後も昭和四十年頃までの輸入の手編み糸は「ビーハイブ」が中心だった。それも都会で進歩的な小売店三ッ葉屋(東京)、石渡商店(同)、ますざき屋(大阪)、中島屋(同)、ユニオンウール(神戸)、マルマ(名古屋)などを中心に売られていた程度で、その量も微々たるものであった。

パピー登場 1960年(昭和35年)

このような、輸入糸業界に大きな変化がおきます。それがパピーの誕生です。 パピーはもと「数野商店」という問屋で、この頃からすでにユニオンとも取引があったそうですが、 昭和35年大同毛織の傘下に入り、「株式会社パピー」が誕生します。

ふたたび「あみもの毛糸いまむかし」から、パピーが扱っていた毛糸を見ますと、その種類の 豊富さには驚かされます。

四十ニ、三年頃より扱ってきた主力商品の輸入糸は、フランスの「パンガン」(会社はプルボー・ マチュレル)、「ベルジュ・デュ・ノール」、「アニーブラット」(エルビリエ)、「ウェルコムペルネル」(プルボー)、 「プラッサー」(プラッサー)、「ボアジョリ」(ソフラテックス)、「フィルダール」、「ブートンドール」など。 イギリスの「サンビーム」、「TMハンター」、「イエーガー」「サーダー」など。イタリア「クローサ」、 スイスの「H・E・C」、オランダの「シープシェスボル」、ノルウェーの「サンドネス」など多彩である。

これらの中から選択した毛糸を輸入していたわけですが、おもな販売先は上記のような都会の毛糸店が中心で、それほど急激に扱い高が伸びたわけではないようです。ユニオンの店主は、「パピーは大切に売ろうとしていた」と、回想していますが、このような個性豊かな糸は、やはり地道に良さの分かる毛糸店や愛好家へ浸透させていかなければならないという意識を持っていたということかもしれません。

その後、パピーの雑誌「ミセス」(文化出版局)へのタイアップ作品などが効を奏し、大都市から地方へと輸入糸の需要が拡大し、昭和45年〜昭和59年にかけて輸入糸のブームがおきます。この間にオイルショックもあるのですが、ユニオンによると輸入糸の売れ行きに大きな落ち込みはなかったといいます。

オイルショックによって国内の毛糸の新規開発が停滞したということもあるでしょうが、戦後の物不足の時代からすでに高度成長を遂げ、消費者の嗜好が保温性、再利用性という実用本位からファッション性へと変化していたということでしょう。

現在まで 1985年(昭和60年)以降

「あみもの毛糸いまむかし」は、昭和61年に発行された本ですが、その結びは次のように明るいものです。

古今東西を通じ女性(ごく一部には男性も)の編物をする習慣だけは連綿と続いている。 将来にわたってこの習慣がなくなることはないだろう。

しかし、その後の時代の変化はそう楽観的なものではなかったように思われます。 衣食住のすべてにわたって手作りの要素は急速に失われていき、バブルの時期には、金に物を言わせたブランド志向が一部の金持ちだけではなくOLにまで浸透し、あれほど日常的だった手編みをする女性の姿はもうほとんど見かけなくなりました。ブラザーも編機から撤退し、編物という文化はもはや落日の光の中にあるようにさえ思えます。

union-shop.jpg
現在のユニオン(22号店)

ユニオンも、最盛期は三宮に四店舗を構えていましたが、現在は高架下のニ店舗に縮小しました。ユザワヤの進出もあり、経営的には厳しくなったのではないかと思うのですが、この店の品揃えの確かさは、私達のようにユニオン以外では毛糸を買わない固定客や、プロの方々の信頼を引き付けています。もちろん、他では絶対に割引にできない毛糸でさえ割引価格で買えることがあるという、経営努力も大きいと思います。他の三宮の毛糸店がすべて閉店や商品の入れ替えをする中で、今でもユニオンは輸入糸を販売しています。三代目の大西恵司店長に今後の抱負をうかがいました。

union-preg.jpg 「当店の自慢は、老舗のためにメーカーの束縛なく、様々な毛糸を仕入れて販売できることです。 家族中心の経営ですが、毛糸に関する商品知識は、他のどの店にも負けません。毛糸の種類の少ない地方の方から、電話で相談を受けて、適切な毛糸を選んで、喜ばれることも多いんですよ。こういうときは本当に嬉しいですね。これからも、うちだけでしか入手できない個性豊かな毛糸を販売していきたいです。もちろんインターネットの通販にも力を入れていきたいと思っています。」
union-staff.jpg
ユニオンのスタッフ
union-map.gif
ユニオン 22号店(輸入毛糸) (078) 331-8854・391-3756
FAX (078) 331-3166
ユニオン 16号店(国産毛糸) (078) 331-6939
営業時間 10:00〜19:00  定休日 月曜日
ホームページ: http://www3.ocn.ne.jp/~union/

これからも、東京資本に負けないでずっとこの土地で頑張って欲しいお店です。



免責事項 たた&たた夫は記述内容の正確性を保証いたしません。また、記述内容に起因する一切の損害・不具合に関する補償の責を負いません。
著作権 Copyright(C) 2000-2005 Tata&Tatao. All Rights Reserved. 本サイトの文章・イラスト・写真はたた&たた夫の著作物です。無断転載は固くお断りいたします。