サンカ手袋の復元
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この手袋が「サンカ手袋」です。サンカ手袋の名前の由来は、スコットランド南西部にあるサンカ(Sanquhar)という町の名前です。この地方で生まれた伝統ニット「サンカニット」の特徴は、対照的な二色を使った編み込み模様です。その代表がこの「サンカ手袋」で、黒と白の二色のみを使った編み込み模様は100年以上前のデザインでありながら、今なお新鮮さを失っていません。この手袋は地元のダンフリース&ギャロウェイ博物館にある20世紀初頭の手袋の画像を元に、たた&たた夫が復元したものです。サンカニットは、現在も地元で数名のニッターによって編み継がれていますが、英国でもほとんどその存在を知られていない伝統ニットです。
私たちが初めてサンカ手袋を知ったのは、「海の男たちのセーター」(日本ヴォーグ社刊,1989,とみたのり子著)という本からです。この本は文字どおりフィッシャーマンズセーターの本で、サンカ手袋に関しては数ページしか載っていませんでした。しかし、たた&たた夫はこの本にあるサンカ手袋の写真を見て、痺れてしまいました。これほど完成度の高い手袋はかつて見たことがありません。しかも、この手袋は美しさだけではなく、実用性にも配慮が行き届いています。まず、この手袋の指は平面ではなく三角柱に編まれるのです。
さらに指の間部分に三角形のマチがあり、指が動きやすくなっています。また、非常に細い梳紡糸で作られるため総編み込みでありながらとても薄く、ニット手袋にありがちな手先がモタモタした感じを与えません。
デザインは極めて洗練されていて、どこをいじってもこれ以上のものが作れそうもないと、白旗を掲げたくなるほどです。この手袋は現在のファッションに取り入れても古さを感じさせることはないでしょう。ツイードのジャケットやリブ編みのセーターと合わせて見ればどうでしょうか?シェットランド・シープドッグを散歩させる手綱をこの手袋で握って見てはどうでしょうか?かっこいい!たた&たた夫はそう思います。これが200年前そのものの手袋なのですから、去年の服がもう流行おくれになるという生活をしている私たちには、ちょっと信じられない気がします。
わたしたちはその後、地元のダンフリース&ギャロウェイ博物館のWebサイトを見つけ(99/8/1よりサービス開始、00/11/1時点でまだ2500くらいのアクセスでした)、そこでサンカ編み物の歴史を読み、ますます感銘を深めました。このホームページで、ローワン・レイドという方がエジンバラ大学の依頼を受けてサンカ編み物の調査を行い、著作にまとめていることを知りました。この本は一般書店では扱っていないため、私たちは著者や博物館にメールを送りましたが、私たちの英文がプアだったせいか、またはインターネット事情が日本と違うのか連絡がうまくつかず、本の入手はできませんでした。(現在も交渉中ですので、入手できればまたお知らせします。)このため、私たちはWebサイトの写真からサンカ手袋の復元を決意、試行錯誤を繰り返しながらもついに一着のサンカ手袋の復元に成功しました。
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そうは言っても、ヨーロッパ伝統ニットといえば、ガーンジー・アラン・フェアアイルなどが真っ先に浮かぶでしょう。サンカ?聞いたことがない、という人が大半かと思います。しかし、ガーンジーやアランは伝統ニットの中の氷山の一角です。伝統ニットと一口に言いますが、20世紀の日本の我々にその伝統が伝わっているという事実を吟味してみる必要があります。私たちは、ガーンジーやアランを歴史の授業で習ったわけではありません。私たちは商業製品をもとにこれらを知ったのです。つまり、ガーンジーやアランは商業ベースに乗ることが出来た幸運な(?)伝統ニットといってよいでしょう。しかし、このことは他の伝統ニットの質が劣っていたことを意味するわけではありません。サンカ手袋はそれを私たちに語りかけているように思います。
私たちなりに、なぜサンカ編み物が今の世に広まらなかったかを想像してみると、まず、手袋の商品価値が低いことがあると思います。「海の男たちのセーター」によると、この細かい仕事の手袋を1組編んで、報酬は1500円に満たないということです。手編みセーターになら5万円を払っても、同じ金額を手袋に払うことは難しいことを考えると、商品としての不利は明白です。また、趣味として編むにもこの手袋は非常に難しく、一般のアマチュアには荷が重いのです。デザインが完成されており、簡単にバリエーションを作れないというのも趣味としては不利でしょう。つまり、極めて高度な技術を持ったニッターをただ同然で使える、という過去の重い歴史の中にこの手袋は生まれ、商品として成立していたのです。暗い灯火の下でこのような細かな編み物をしてわずかな収入を得ていた時代のことを思い起こすと胸が締め付けられます。おそらく少しでも報酬を上げるため、あるいは他の地方に注文を奪われないため必死の工夫があったものと思われます。ここまで完成度の高い手袋を前にすると、そう感じずにはいられないのです。
サンカはスコットランド南西部にある、現在では人口約2000人の小さな町です。サンカは羊毛産業に必要な軟水に恵まれ、ニス川沿いに整備された道路でスコットランド中央への交通が確保されていたため、18世紀には毛織物の中心地として繁栄しました。6月に開かれる市がその地方の羊毛の価格を決定すると言われるほどでした。しかし18世紀終わりには急速にその地位を失っていきました。原因は定かではありませんが、市場の変化や政治的混乱によるものであると推定されています。
今日「サンカ編み物」として伝わる2色の編みこみ模様の起源は正確にはわかりませんが、1807年に書かれた地元出版社の次のような記述から少なくとも200年以上の伝統があることが分かっています。
ニッターは2本の糸を器用に使って、裏表が似た編地を作る。ほとんどの靴下は多色使いで、非常に多種のパターンがある。
サンカ編み物はすでに19世紀中ごろには衰退しています。産業としての価値を失ったにもかかわらず、それから150年後の今日まで絶えることなく編み継がれてきたのは、地元の人々のサンカ編み物への強い愛情があったからでしょう。それぞれの時代でサンカ編み物を保護しようと努力した人々の記録が残っています。
19世紀中ごろ、この地方の領主バクルー公爵は衰退したサンカ編み物保護のため、自家用に大量の注文をしています。このときのパターンが今日もサンカ編み物の代表的パターンとなっていて、今回復元する手袋にも使われている「デューク(公爵)パターン」です。これ以外にも、年に一度の祭りで優勝した騎手に贈られる手袋にのみ使われる「Cornetパターン」や、王室をイメージさせる「ローズパターン」などは地域の人々にとって重要な意味をもつものだとのことです。これら伝統的パターンの象徴として、「サンカ手袋」があり、サンカ手袋はこの地方を訪れた国際的著名人にプレゼントされたり、婚礼や葬儀などの重要な儀式に使う家宝となったりしているとのことです。
現在、プロのニッターはわずかに数名とのことですが、地元の家庭科の授業に取り入れられたりするなど保護の動きがあるそうです。この地方の伝統に対する誇りと愛情をもってすればそう簡単に忘れ去られることはないでしょう。ダンフリース&ギャロウェイ博物館Webサイトの「サンカ編み物の歴史」の最後は高らかにこう締めくくられているのですから。
コンピュータと商業主義の今日でも、サンカパターンは、言い伝えや個人と祖先の絆の強さを示す生きた証であり、決して失われることのない遺産なのである。
さて、実際に復元を試みると、たちまち問題が起きてきました。まず、復元するデュークパターンを紙に起こしてみると、これは11目×11段が1パターンだと分かりました。手袋を見ると、それぞれの指に一列ずつパターンが割り当てられています。したがって、パターンの増減はできません。私たちは復元にあたり、実用性を損なわないようにするつもりでした。つまり形だけではなく、実用製品として蘇えらせたかったのです。ところが、日本人は体が小さいので、編み物製図の本を開くと婦人手袋の甲回りは標準が18cmとなっています。4指のまわりが18cmですから、片側9cm、つまり'9cmで44目'≒'10cmで50目'という超ハイゲージになるのです。これは一般の機械編み手袋のゲージよりも細かいものです。メリヤス一目が2mmですから、糸の太さは当然1mm以下でなければなりません。手元にあったパピーの糸見本帳を開くと、どうやら可能性は2ply(極細)か3ply(合細)しかなさそうです。しかし、2plyの平均ゲージでも棒針0〜2号で10cm・34目となっています。さんざん考えてわからないので、ものは試しと2plyと棒針0号で試し編みをしてみました。だめです。向こうが透けるようなやわな編地で、伝統編み特有の密に編まれた編地とは程遠いものにしかなりません。もちろんゲージも合いません。そもそも、2ply(極細)と0号針は太さに違いがありすぎて釣り合いません。もしかしたら2ply(極細)は機械編みの糸で、手編み針0号というのは、それ以上細い針がないから、しようがなく指定してあるだけではないか?という疑問がおきました。念のため、なじみの手芸店で「0号より細い針ないですか?」と聞いたのですが、店の人はただあきれるばかりでした。店を出るときに背中で聞いた「またどうぞ」という声に皮肉っぽいニュアンスを感じたのは気のせいだったでしょうか?もう、どうしようもありません。一番避けたかったことですが、棒針を作るしか方法がないのです。
棒針0号針の直径は2.1mmです。今回は何mmがいいか?わかりません。もう、直感です。ハンズで、1.5mmのステンレスばねを買ってきました。素材は他にも真鍮・アルミ・軟鉄・ピアノ線などがありましたが、アルミはヤワすぎますし、毛糸が黒く汚れる可能性があります。ピアノ線は鋼ですから、尖らせるとちょっと(かなり)怖い。真鍮と軟鉄は加工しやすいので、いけそうですが、真鍮は手の塩分で黒くなりますし、軟鉄はこの細さでは握っているうちに曲がるのではないかと思い、少し固めのステンレスばねにしました。
長さは0号短針と同じ16cmにカット、ヤスリで形を整えた後、耐水ペーパーで先を磨いたものを2本作りました。それで2plyを試し編みをしてみると、ビンゴ!25目で5cmです。棒針は 0.3 mmごとに号数が1つ変わりますから、この針をもし号数で呼ぶとすれば (-2)号ということになるのでしょう。ゲージ編みに使ったばねの反対側も研磨し、あと2本の棒針を作って合計4本の(-2)号短棒針の堂々完成です。ふぅ。休みが1日つぶれました。
棒針の作り方
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準備するもの。左より、耐水ペーパー(#400)、平ヤスリ(細目)、ステンレスばね、ペンチ。 |
ステンレスばねを切断。ラジペンやニッパーを使うと刃がこぼれるのでやめたほうがよい。 |
ヤスリで針先を整形。図のように一方向に削る。怪我に注意!! |
いきなり針先を作ろうとするとうまくいかない。図のように4角→8角→16角というように削る。最後に耐水ペーパーを濡らして磨く。 |
やっと、編むところまで来ました。これでスタートラインに立てた、あとは編むだけ、と思ったら甘い、甘すぎました。削りたての針が毛糸の繊維を微妙に掛けているのかやたらに編みにくい。刺さりにくいし、抜けにくい。しかもこれまでは竹針を使っていたのですが、金属針は編地と針のすべりが悪くどうも調子がでません。腕が20年前に戻ったような感覚に襲われます。輪編みの編み始めは普通でも編みにくいのですが、指で丸を作った程度の小さな輪編みはどこを持ってどうすりゃいいの?って感じだし、おまけに編みこみの2目ゴム編みがいきなり始まるもんで、ちょっと油断すると無常にも針先から糸が滑り落ちてしまう...。作り目を2度やり直し、ゴム編みが1周したとき(つまり2段終わり)、すでに1時間半が経過していました。落とした目を拾って戻すためには普通のかぎ針でなく、レース針(4号)が必要でした...。
普通、輪編みは何段か編み進むと急に編みやすくなってくるものですが、こいつは2段編んで3mmという世界なもんで、ぜんぜん変わりません。正確には測ってませんが1周するのに15分〜20分は十分かかりました。何をどうしたらたった88目のゴム編みでそんなに時間が掛けられるのか、と思う人もいるでしょう。私もそう思います。しかし、目を落とすわ、糸を割るわ、散々でした。一目落としたらえらいことになるわけで、まるでアンパンにかかったケシの実のように小さく丸まった編目を刺繍針でほじくって目を取りだすんですが、今度やるときは時計屋のオヤジが昔はめていたような拡大鏡を買おうと思うほどでした。それに、落とすまい落とすまいとすればするほど余計に落ちる、これが世の習いです。しかし一番怖かったのが、作りたての金属針と糸の摩擦が妙に強く編んでいる最中、交差させようと針を引いたとき、針に掛かった目がガツンと張り詰めてしまう瞬間でした。手に糸が切れる直前の断末魔のきしみが伝わります。極細の毛糸は手で引っ張れば簡単に切れます。冷汗もので、そぉ〜っと編みかけた針をもどして、編地を針先に寄せて、改めて編む。しかし、針先に寄せすぎると針を動かした瞬間、先からぽろり。いや〜、ぜんぜん進みません。
ゴム編みが終わって、ようやく輪編みもチューブ状になって編みやすくなってきました。ゴム編みの次は、昔の手袋では持ち主の名前が編み込みされています。「ネーム入れサービス」ですね。しかしこれは省略。さすがにやってられません。しかし、今の感覚だったらここを白いメリヤス編みにしておいて、購入時に名前をメリヤス刺繍する、て感じだと思うんですが、「編みこみ」ですから、恐れ入りました!です。まぁ、私たちは「既製品」に慣れすぎているのかもしれませんね。オーダー品なら、あらかじめ既成サイズで量産しておく、っていうようなことはもともとできないわけですから。それなら、編み始めの部分に名前を編みこむのもあながち不思議ではないのかもしれません。それは別にしても、今のご時世では外から自分の名前のわかるものを身につけて歩くと安全上あまり良くありません。世知辛い世の中になったものです。
チェックを9段、黒の段を2段編んで、やっと模様編みのところにたどり着きます。ここで、目数をもう一度確かめます。ここまでくるとかなり慣れてきました。しかも針と針が編んでいるうちに擦れて、お互いに磨き合った結果、針先が光ってきました。これでぐんと編みやすくなりました。針の本体にも手や毛糸の脂分がなじんだのか滑りやすくなってきました。デュークパターンが編めるようになったのが嬉しくて1段編んでは眺め、2段編んでは確かめる、というような感じです。しかし、1パターンが2センチ足らずですから、少々では形になりません。それに編地の端が外側にそっくり返っているので、そこをめくるようにして「う〜ん。(模様が)できてきた。できてきた。」と眺めこんでいるのですから、はたから見たらバカ丸出しだったことと思います。
しかし、とうとう一段のパターンを終わらせ、黒の横線を2段、編み切りました。だれがどう見てもサンカ手袋、という形が現れてきました。やった〜、です。へ、へ〜ん。5日もかかったもんね〜。でもまだまだ先が長いもんね〜。嬉しいのやらしんどいのやら、複雑な気持ちです。実は、「海の男たちのセーター」にベテランのニッターでもこの手袋を1組編むのに4日必要という記述があり、なんで手袋2つでプロが4日もかかるのかなぁ、誤植?とちょっとした疑問が横切ったのですが、今は土下座して謝りたいような気持ちです。こんな手袋を2日で1つ編み上げるなんて、神業です神業。
さて、写真で見るとそろそろ親指のマチを編み出すところになりました。そこで、ゆっくり考えてみました。あ、言い忘れましたが今回は先々のこと、な〜んも考えてません。ともかくその場その場で考えていこうということで、分かるところまで編んでそこで悩むことにしていたのです。細かいことまで考えてたら絶対編み始める事ができないもんで。わかりますよね?
よ〜〜〜く観察すると、親指を構成する三角柱のうち、一辺は人差し指との間に作り出すようです。したがって手の周り部分では残りの2辺をマチで作り出せばよいようです。親指の側面はよく写っていませんが、おそらくここにも黒い線が必要でしょうから、パターンの内側9目×2+黒い仕切り線2目=20目を増せばいいようです。写真の増し目の角度は、毎段増目したときの角度ではなく、1段おきに増したときの角度(アーガイルの菱形)に似ています。現時点は親指の付け根から20段下ですから、1段おきに2目ずつ増やせばちょうど20目増える計算です。全部のつじつまが合いました。だいたいこの線でいいでしょう。しかし、増目する場所はどこなのか。本体とマチの部分か、マチの中間部分か、親指で言えば付け根部分で増やすか、背の部分増やすかです。結局わからなかったので、交互に増やす場所を変えるという折衷方式にしました。(付け根部分が正解のような気がしたのですが)
親指の内側の1辺をどのようにするかですが、普通の手袋の技法では、巻き増目するところです。しかし、その場合は2目程度ですがサンカ手袋だと11目あります。11目の巻き増し目はキツイ。落とさずに編める自信もないし、終わりのほうになるとものすごく目が緩みそうです。そこで、別鎖の裏目を拾って11目を作り目しました。この方法は近代的な手法なので、伝統編みとは馴染みませんが、指の付け根部分なので薄く仕上げたいこともあり、この手法を使いました。(編み上げた結果はほぼ同じになります。)
とはいえ、せっかく編む速度が速くなってきたのに、ここで元の木阿弥、また輪編みの編みにくい状態に逆戻りです。しかも、1周33目の細い指に複雑な編みこみ模様を施すのですから、叫びたくなるような面倒さです。「こんなアホなこと、考えたんは誰やぁ?」と関西弁で叫ぶと、「そんなアホなこと、やっとんのは誰やぁ?」とすかさず突っ込みが入ります。しかし笑えるような精神状態ではありません。額にも手のひらにも脂汗が滲みます。
やっと親指の指先にたどり着きました。普通ですとこのあたりはエイヤと縛り上げておしまいというところですが、サンカ手袋は律儀に最後まで減らし目をします。毎段減らしたとすると9→7→5→3→1の5段になりますが、写真を見ると7段くらいありそうでしたので、最初の2回は1段おき、それから毎段というように減らします。ここにもチェック柄を入れていきます。指先の模様の入れ方はすべてチェック柄のドーム型にするのと、黒い線を先頭まで通して尖柱にする、の2つがありますが、今回は太い線を先頭まで通す手法を選びました。理由はそのほうが面倒そうだったからです。もう、ヤケクソ。最後の最後は先頭が9目の輪編みとなりました。もうこれ以上はあめましぇ〜ん。とじ針に黒い糸をとって、一周目に白い糸だけ、二周目に黒い糸を取って絞めました。頂上部の収まりは納得いきませんが、これ以上の技法は思いつきません。輪編みで最後3目残して、とどめに3目一度、てな技できるんですかねぇ?
親指が編めたので、休めておいた目を針にとろうとして仰天。ぜんぜん休めておいたはずの目が見えません。目に通した糸にところどころこぶのように見えるのがおそらく元の編目のなれの果てのようです。ここでうかつなことをすると一巻の終わりになります。またしても刺繍針を使って一目ずつ発掘して編針に戻していきます。どれくらい時間が掛かったかは、もう申し上げますまい...。
人差し指側は親指の鎖編みを解いて輪編みに組み込みます。一段目を編むとき念のため、編地側から一目を拾い目して作り目の端目と二目一度します。これはこの部分に穴があきやすいことを経験的に知っているからですが、適切な措置だったかはわかりません。
ここまで準備ができてからは、針のこなれもかなり良くなっていた上、輪編みが手首よりすこし大きくなって針の回しが楽になったため、どんどん編め始めました。これまではなかなか1周しなかったのに、知らないうちに1周していたり下手をすると行き過ぎそうになる感じです。編み物はこれでないと楽しくありませんよね〜。
楽しい時間が過ぎ去るのは速いです。またしても陰気な指編みです。最後の頭を使わねばならないところがやってきました。指の付け根です。ここに三角形のマチを入れないとサンカ手袋とは呼べません。この部分は「海の男たちのセーター」にただ1枚だけ写真がありました。感謝です。この写真をまたしてもじ〜〜と見て、編目の方向や数を数えて、考えます。...わかりました。指は三角柱に編むのですが、編み始めは四角形で始めるのです。そのうちの中指側の一辺を両側から減らしていき頂点で三角柱にすればよいのです。マチの底辺は親指と同じように別鎖で解けるようにしておき、次に中指を編むときにはここから四角形の一辺を編み出せば指の付け根が長さを保ってつながります。これによって、指の根元の太い部分が手袋に収まりやすくなると同時に、全体の造形が無理なくピタリと決まります。みごとな技法です。マチ部分の三角形の角度は写真を見ると正三角形に比べて段方向に扁平ですから、毎段マチの両端を減目でよさそうです。とうとうすべての技法を解決したのです(自分なりにですが)。
中指の頂上を少し長めにした以外は、人差し指と同様に編んでいきました。これまでできるだけ着実に進めてきたつもりなのですが、薬指の真中ごろからあせりがでてきて、目が緩みそうになってきました(編み物をした人には分かると思います)。なんとか我慢して、小指の最後のパターンを終わらせ、頂上部のまとめで目をこぼしたりしたものの、ついに終わりました。いろいろ仕事や私事が重なったとはいえ、12日間に及んだ苦難の終了です。
裏糸を始末して、完成品を見ていると緊張が緩んで気持ちがぼ〜っとしてきます。出来栄えは良いとはいえないのですがそれでも、初めて目にする本物のサンカ手袋です。当初甲回り18cmを予定していましたが、ゲージがすこしきつくなり甲まわりが16.5cmになりました。この伝統編手袋は、密に編まれているため伸びゲージを適用して計算する必要はないと思うので、婦人手袋ではSサイズになるでしょう。たたの手にはぴったりとフィットしました。
・デザインについて
白と黒という強いコントラストの二色を使い、細かいパターン模様を格子で区切るというのはセーターなどではすこしきつすぎるデザインですが、手袋という小品ではむしろメリハリがつくという計算で、それが見事に決まっています。5本指にそれぞれ一本ずつパターンを沿わせるという配置のため、指を曲げたり伸ばしたりしても、パターンが崩れません。実際にはめて見ると、どの角度からみても指に沿ってパターンが並んで見え、どこかにエッシャーの無限の繰り返しを思わせるような神秘性が感じられます。
・造形について
極めて細い糸を使い、指が三角柱で頂上部を丹念に減らしている、指の間にマチがあるなどの立体造形の効果で、ニット手袋でありながら手にしっかりとなじみます。モノトーンのデザインとあいまって、手先の印象がすっきりと見えます。手袋単体だけを見るとパターンが少しうるさいようにも思えますが、ジャケットやコートの下からのぞいたときには小気味よいほど効果的に決まります。
・編み方について
縦方向に黒の線があるおかげで、輪編みの際に目立つパターンの1段分のずれが目立たなくなっています。また、この部分で輪編みの針を変えると目の乱れが黒の線に吸収されて、パターンへの影響が少なくなります。指の付け根にあるマチはサンカ手袋の特徴ですが、実際に編んでみると、指を三角柱で編むとほぼ必然的にここにマチができることが分かります。つまり、マチは意図的なものというよりも、指を三角柱に編むことから付随的に必要となったもののように思われます。実際のサンカ手袋がどれくらいの太さの針や糸を使っているのかはよく分かりませんが、針や糸が細くなると急に編むのが難しくなります。おそらく、視力と指先の器用さの限界によるものと思いますが、右針で左の目を取るということさえ、ままならないときがあります。目が小さいため、手の動きに必要なだけ編目を広げて空間を作れないということもあると思います。また、極細の糸は指の隙間を簡単にすりぬけるため、糸の絞めが難しく今後、編み方に工夫が必要と感じました。
実際に編んでいると、手を抜くということを知らない技法の執拗さに辟易しました。普通、一作品を編んでいる間にはどこかで楽をできる部分があって、一息つけるのですが、サンカ手袋にはそういう部分がほとんどありません。また、ものすごく細い針を支えるため、中指の爪を使っていましたが、指を曲げて中指の爪で針をつまんでいると、右の針で糸を掛けるときに、針先が中指の爪横の肉を何度もえぐったものです。編み慣れていないのが原因とはいえ、普通の編み物では考えられないことです。
なんでも手軽に買える時代に、このような前世紀の遺物を再現するのは、ロープウェイで行ける山に歩いて登るような愚かな行為かもしれません。しかし、私たちは人が通らなくなった道端に、時代の足跡に耐えて残った花を発見したのです。もはや数本を残すだけになってしまったとはいえ、やはりいつまでも咲き続けてくれることを願わずにはいられません。そして、私たちのこの賛歌が一人でも多くの方々に届くように祈らずにはいられないのです。
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