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輪編みの編み方徹底図解 |
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棒針を使った輪編み技法の図解です。歴史的輪編み技法の解説もあります。 |
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2.1 歴史研究の意味と楽しさ
これから、19世紀〜現在までの各国のニッターの写真を元に輪編み技法を研究したいと思います。こう書くと、技法の説明に歴史的な話題は回り道のように感じるかもしれません。しかし、そうとは言い切れません。例えば「海の男達のセーター」(とみたのりこ著,日本ヴォーグ社,1989)には次のような印象深い会話があります。
「このリサーチを始めて最初に尋ねた家の中から、年配の女性が手に編針を持って出てきたのを覚えています。どこかに座って編んでいたのでしょうか、ドアに向かって歩く間も手を休めず編み続けているんです。それが、目にも止まらぬ速さなのにはびっくりしました」
とインガルビーさん。
「私が『なんて速いんでしょう』と言うと、『私は家族の中で一番遅い編手と言われていたんだよ。だからいつも父が編むのを手伝ってくれた』って」
まるで昨日のことのように、生き生きとお話になる。
「そういった方々にお話がうかがえなくて本当に残念です」
と私が言うと、
「そうですね。私たちがちょうどぎりぎり間に合ったというところでしょうか。その当時でも昔のようなスピードと、体を前後に動かすような独特のリズミカルな動作で、このような二色編み込みの手袋を編める人はほとんどいませんでした。」
これは、1951年に出版された"The Old Hand-Knitters of Dales"という本の著者、ハートリーさんと
インガルビーさんに、とみたのりこさんが調査時の逸話を尋ねているときの会話です。この会話はおそらく1980年代のことで、ニッターへのリサーチは1940年代ではないかと思われます。ディルズという、以前は男女を問わず編み物をしていた地方においてさえ、すでにこのような速さで編める人を見かけることは無くなっていたのです。その人が、昔の基準では手が遅いと言われていたというのですから、過去のニッターの技量がどれほどすさまじいものだったかが想像できます。つまり、古ぼけたモノクロ写真に記録されている女性達は、もし何らかの魔法で今日に蘇ったとすれば、一人残らず人間国宝に指定されるほどの高度な技量の持ち主ばかりなのです。
そう考えれば、たとえ古ぼけた一枚の写真といえども、簡単に見過ごすにはあまりにもったいない貴重な情報源です。他の編み物技法は写真からは到底分かりませんが、輪編みの棒針配置だけはかろうじて写真から読み取れる数少ない情報の一つなのです。
実務的な理由ばかりではなく、過去の写真をじっくり読み解く事は、いにしえのニッターの精神と対話する楽しみもあります。例えば右の写真('Practical Knitting' pp21 Rae Compton Hamlyn Publishing 1981,Original Photo:The Sutcliffe Gallery,Whitby)は、編み物に興味のない人が見れば、ただ編み物をしているおばあさんの写真としか見えないかもしれません。しかし、対話する気持ちがあれば、この一枚の写真からもさまざまの情報が読み取れます。
まず、このお婆さんは戸口の横に座っています。明かりとりと日光浴を兼ねて、この場所で編み物をするのはよく見かける光景です。しかしこのお婆さんはフェルトの帽子を目深に被り、耳や首元はスカーフでしっかり閉じられています。してみると、彼女は相当長い間この場所で編みつづけているか、または編むつもりなのではないでしょうか。一般に年配の人の場合、編み物に取り組む姿勢が非常に厳しいようです。若い女性では、エプロンをつけて戸口にもたれかかる姿勢で立ったまま編み物をしていたり、数人が集まって話をしながら編んだりしている写真もあり、どこかにちょっとした息抜きの気分が感じられることがあるのですが、この写真にはそのようになごんだ気配はありません。おそらく、若い女性の編み物はパートタイムで、肉体労働ができなくなった年配女性の編み物はほとんどフルタイムの労働なのでしょう。
写真をさらに仔細に見ると、一見なんでもないお婆さんの姿勢がそうではないと分かります。まず、頭がきちんと肩の上に乗っています。人間の頭の重さは大変なものですから、重心が体の中心からずれると肩や首に大きな負担がかかり、すぐに疲れてしまいます。しかし、誰にも経験があるように、細かな仕事をしていると知らず知らずのうちにどうしても頭が下を向いてしまいます。私たちも色々な写真を見ましたが、編んでいる最中に首がここまで決まっているのはほとんどありません。もちろんこの姿勢は、老眼ということも関係あるかもしれませんが、それよりも編み物をするのに視力に頼るところがあまりなかったのではないかと思われます。頭だけではありません。肩と肘も完全に力が抜けてリラックスした状態になっています。しかも、そのように力が抜けた自然体でありながら手先・編み針・編地は理想的な位置にぴたりと収まっています。驚くべき構えではないでしょうか.....。
.....まだまだ、いくらでも続くのですが、この辺にしておきましょう(笑)。このような想像は当然、間違いも多いと思います。しかし、そのような勘違いはいずれは訂正できる可能性があります。推理や想像を巡らさなければそもそも何も見えてはこないのです。陶芸が好きな人は小さな陶片からでも悠久の歴史に思いをはせることができます。私たちも間違いを恐れずどんどんと過去の名人達に問い掛けてみようではありませんか。
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