編むこと、編み物の歴史、その喜び

「輪編みの編み方(仮題)」、いや〜なかなか進みません〜。まぁ、そもそも内容が面倒なのもあるんですが、今回編物の歴史を調べてたら、もぉ二人して脱線ばかりでして。あの本の写真がどうとか、ここにこんな記述が、とかやりだしたら、知らない間に関係ないことばかり調べたり、新しい本が欲しくなって古本屋にメールしたり、これじゃぁ本当に進みませんね〜。すみません。反省。

言い訳させていただければ、こういうのは私たちばかりではありません。英国教会の司教という重職にありながら、’A history of Hand Knitting'(手編みの歴史)[B T Bastford Ltd,London 1987]という大部を著したRichard Rutt司教は、この本の最初に「10年間にわたって手編みの歴史を研究したが、それは手編みそのものよりも多くの喜びをもたらした。」と書き記しています。実際、洋書の編物本は最初に歴史が書かれていることがとても多いです。日本の編物本とはこの辺が大きな違いですね。海外のニッターの伝統に対する感じ方が良く現れている文章を紹介しましょう。

私にとって編む事とは、趣味や生活手段を超えたものです。それは、私と過去のすべてのニッター — 初めて指と先がかぎになった棒で編目を作ることを発明した人達から、生活の糧を得るために生まれ故郷からはるかに遠くへと編物を売っていた地方の人達まで — の人生と私の人生との絆を結ぶ手段の一つなのです。暖かさのため、おしゃれのため、物語をつづるため、純粋に楽しみのため、さまざまな目的で生み出された沢山の伝統柄は、歴史物話や古い民話の一節に耳を傾けるときのように私の心を魅了して止まないのです。
Nancy Bush ‘Folk Socks’ Interweave Press 1994

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