模様の秘密 ー ガーンジーセーターの伝説(19)

ガーンジーセーターの模様については、色々と伝説があるが、それを考える前に、手編みをする人間なら超がつくほどの常識なのに、できない人間には想像もつかないガーンジーセーターの模様の秘密を話してみたい。

胸から模様が始まるセーター

裾がゴム編み、その上がメリヤス編みで、胸のあたりから上が模様編みになっているガーンジーセーターがある。
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例えば、上の写真がその例だが、こういうのを見て「胸から上に模様があるのは心臓を守るため」みたいな伝説未満の「珍説」を語る人がいる。じゃあ、胃腸は守らなくていいんですかって話だが、表編みと裏編みの模様をつけたからって暖かさが大きく変わるわけがない。もちろん、二目かのこのような模様で編地に凹凸をつければ、上に羽織った服との間に空間ができて暖かくなるかもしれないが、セーター単体の保温力は劇的には変わらない。温度センサーを使って実験すれば、わずかな違いを検出できるかもしれないが、まあその程度だろう。

それはさておき、手編みをする人間なら、なぜ脇の下から模様編みが始まるか、ピンと来る。しかしわざわざ種明かしをしたら損なので、過去のニッターは話さなかっただろう。しかし現在は、手編みのガーンジーセーターで生計を立てる人はほぼゼロだろうから、裏事情を話してもマナー違反にはならないと思う。

circlebf左は簡単な説明図だが、これでもガーンジーセーターをどうやって編むか、イメージはできるだろう。下からゴム編みとメリヤス編みを編んでいくところは輪編みで、脇の下まで編んだら前後に割り、それぞれを往復編みで編んでいく。これが基本の編み方で、どの地方のガーンジーセーターもほぼ同じである。超基本的なことだが、手編みの場合、表編みの方が編みやすく、速くて疲れない。ゴム編みは、表と裏を交互に同数編んで行く。これはどうしようもない。しかし、ゴム編みが終わってメリヤス編みの部分が始まれば、表編みだけを編めばいい。つまり、輪編みのメリヤス編みは、速く編めて面積を稼げるのだ。ところが、脇のところで前後に割ると、そこからは往復編みになる。往復編みでメリヤス編みを編む場合は表編みと裏編みを同数編まなければならない。その上、同じメリヤス編みなのに、往復編みと輪編みで微妙に違った編み地になるという危険性がある。メリヤス編みは単純な編み地のため、ごまかしがきかず、小さなアラでも目立つのだ。往復編みになると、メリヤス編みは遅い裏編みの比率が50%となり、速く編めるという実利を失う。それなら、なんでメリヤス編みを続ける必要があろうか?速く編んで速く仕上げるためには、なるべく裏編みの少ない編み方に切り替えた方がトクだ。こんな単純な原理でも、手編みをしない人間にはわからないようだ。まあ手編みの無間地獄が想像できなければやむをえない。

速く編める模様編み案

具体的な戦略を立案しよう。なるべく表編みをしたいから、表編みをする段はそのまま編みたい。問題は裏編みの段で、ここに表編みを増やせば、全体として表編みの数が増える。実に簡単な算数だ。もちろん、ガーター編みにするなら表編み100%だが、さすがにあざといし、見た目もよくない。しかも、編み地の高さが出ないので、下手をすると編む段数が増えて逆効果になる。それなら、こんな模様はどうだ!

dia10段X6目のダイヤ模様だ。これなら立派な模様編みに見えるだろう。このパターンのいいところは、表編みの段は、全部表編みでいけることだ。裏編みのときのみ、ちょこちょこと表編みをする。計算すると、メリヤス編みだと30目分、裏目を編まなければならないところを、このパターンなら21目でよい。実に30%も表編みを増やすことができる。速く編めるわ、模様編みという付加価値はつくわ、段数を数える手間は減るわ、いいことだらけ。これくらいの模様なら前段を参考にしていけばいいので、間違えにくい。最初は5目裏を編んで1目表、次は3目裏を編んで表裏表、それから表裏の連続になる。その後は、1段目と2段目を逆にして編んでいく。ダイヤの形を見ながら編めば、間違えにくい。こんなものを暗記するのは子供でもできる。50-0103-01 と暗記するなら、電話番号より短い。それでも素人に「模様を暗記してるなんて凄いね」と誉めてもらえるかもしれない。さらに、後世になって、このダイヤ模様は精神の輝きを示すとかなんとか、勝手に妄想してもらえるという特典付きである。ま、最後のは皮肉だが、脇から上に模様を入れた方が、アラが目立たず、しかも速くセーターを編み上げることができる可能性(毛糸を前後に動かす手間があるのであくまでも可能性)がある。しかし模様のある方が速く編めるかも、なんて、手編みをしない限りわからないだろう。「このセーターは心臓を守る模様をわざわざつけているので、少々お高くなりますが…」なんて宣伝文句にコロッとだまされた男も大勢いたかもしれない。知らぬが花だね。

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