編物ショップの経済計算

インターネットショップはかつてドットコムビジネスとして注目されたのですが、現在は「崩壊」という状態です。仕事柄、インターネットショップに関する動向を見聞きするのですが、その実態は一言でいって悲惨です。どこも、「来ない」「売れない」「儲からない」という「三重苦」状態です。

最初の「来ない」というのは、ホームページにアクセスがないという状態で、これは非営利のホームページを含めて、アクセスを得るというのがどれほどの難事かは言うまでもないでしょう。高価なディレクトリサービスに登録しても、なかなかアクセスは増えません。ここを乗り越えて、アクセス数が向上しても、次は「売れない」という壁があります。インターネット上では、ほとんど価格が勝負で、検索による比較も容易ですから、よそよりも10円でも高いと、とたんに売れなくなるという状況です。というわけで、シビアな価格競争となる上、普通の店舗のように、バーゲン品を使って客を呼び、他の商品を売るということが難しく、しっかりバーゲン品だけを買われてしまう結果、たとえ売れても「儲からない」ということになります。

編物関係でも、手作りの作品に値段をつけて、ショップとして売り出しているところがありますが、その値段のつけ方を見ていて思ったのが、「たた&たた夫の原価千円の法則」です。例えば編み上げるまでに30時間かかりそうなセーターの場合、単価千円として3万円で、それに材料費を加えて、3万5千〜4万円、だいたいがこういう感じの値段になっています。まぁ、娘のバイトより安い単価ではプライドが許さないという気持ちはよくわかります。

高いものばかりだと売れないということで、小物としてバッグ・帽子などの品揃えをしている場合、(小物でも手間のかかる手袋は少ないですね。)これも、4〜5時間かかるから、4〜5千円という値段になっています。言うまでもなく、現在の企業は、よほど恵まれた環境でない限り、製品を作成した原価に利益を上乗せして価格を決定できるということはありません。まず、市場価格相場を検討し、そこから逆算した原価内で製品を作る必要があります。そのため、乾いたタオルを絞るような苦しい「原低」(原価低減)努力がなされます。

この観点から手編み製品を考えてみると、現在、「フルファッションの手編みセーター」を置いているのは高級ブランドくらいなものですから、これは参考になりません。そこで、フリマやオークションでの落札相場を見て、熟考のすえ(笑)算出したのが、「たた&たた夫の買単価50円の法則」です。この試算でいくと、さきほどの30時間かけたセーターは、1500円くらいなら、売れる可能性があるということになります。実際には、手編みセーターが落札される確率自体がとても少ないのですが、以前、ものすごく手の込んだダブルベッド用のレースカバーが数千円でもなかなか入札されないで何回も出品しなおしされているのを見たときは、他人事ながら手を合わせてしまいました。あまりにも浮かばれないではありませんか。

取引されるものをよく見ていると、編物作品として手が込んでいるかどうかよりも、ずばり、「可愛いいかどうか」が決定的なようです。つまりものを言うのはデザインセンスです。そして、これだけは技術力が高ければ良いわけでもなければ、長くやれば上達するものでもないのが怖いところですが。一番よく取引されるのはやはり安価な「編みぐるみ」みたいなもので、それも「可愛く」「色々オマケがついている」ものが人気です。たとえば、同じテディベアの編みぐるみでも、「帽子」「靴」「リボン」「ジャケット」などのアウトフィットが充実していると、かなり高値になる場合があります。

そういうのを見て、編みぐるみなら売れる、と思う人がいるのか、かぎ針でちょこちょこと編んだような編みぐるみを出品する人もいますが、まず売れません。いくら技術があっても、「商品だから」というさめた気持ちと、「原価千円」を意識していると、情けないほどへなちょこな作品しか作れないようです。

時間がかかろうが、費用がかかろうが、ともかく作り上げるものに全精力をかけることによって、作品に命が生まれ、その生命感が人の心を打つ。これがないと、値がつきません。逆に、この部分でツボをつかれると、どれだけ散財しても手に入れたくなるものです(トホホ)。そうなれば、買単価は、あってなきがごとしものとなります。もちろん、これは編物作品に限ったことではありません。(いや〜、そういう意味では私たちも、編物ジャンル以外でそのツボをつかれてどれくらい散財したことか…苦笑)もう、プロとして編物作品を作る心構えは芸術作品をつくるときのそれと同じものと考えなければいけないのかもしれません。小さな手間賃感覚を捨てて、「いくら払っても」欲しいという情動が生まれるくらいまでのものを作らなければ、買単価50円を抜け出すことは難しいでしょう。しかし、そういう作品は「いくら出すといっても手放したくない」はずです。

改めて考えてみると、これはなにも優れて芸術的な作品だけではなく、初めて編んだマフラーやセーターも同じような気持ちになるはずです。市場価格で見れば一円の価値もないようなものでも、自分にとっては何百万円も匹敵するものです。なにも、すき好んで「原価千円」とみずから卑下する必要などないでしょう。そして現在においては、作品に対する自己単価と市場単価が大きく乖離しているのは、今編物を始めた小学生も、何十年も編物をしてきたベテランもほとんど同じなのです。

編物の経済シリーズの結論を、道元禅師の正法眼蔵弁道話より引用しましょう。

初心の弁道すなはち本証の全体なり。

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