昨日は、イギリスに行ってみたいという話を書きましたが、この日本もそう捨てたものではありません。いや、それどころか一度は行ってみたいと願ってかなわぬまま世を去った人も大勢います。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホもその一人です。「ゴッホの手紙」(エミル・ベルナール編,硲伊之助訳,岩波文庫,1955)を読むと、ゴッホが日本にどれほど恋焦がれていたかが伝わってきます。
約束どおり筆を執ってみたが、まずこの土地の空気は澄んでいて、明快な色の印象は日本を想わすものがある。[第2信]
いいかね、彼らみずからが花のように、自然に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるものではないだろうか。[第542信]
ここの天気はまだつづいている。いつもこんなだったら、画家たちにとって天国以上だし、まるで日本のようだ。[第543信]
これは、ほんの一部です。どれほどゴッホが日本に傾倒していたかがわかると思います。まるで日本を理想境のように書いていますが、このころのゴッホの現実は精神的にも経済的にも大変なものでした。
単に収支の計算なら、50歳まで生きて年に2千フランずつ十万フラン使うわけだから、つまり十万フランを稼ぎださねばならない、という真理を考えるだけでよい。だが、芸術家の一生で一枚百フランの絵を千枚描くということは、それはそれは困難な仕事だ。[第557信]
弟よ、恐らくわれわれの小さな不幸や人生の多少大きな不幸だって茶化してみるのが一番いいのじゃないか。君の男前を活かして、目的へ直進したまえ。われわれ芸術家は現在の社会では壊れた手の取れた水指しに過ぎない。僕の絵を送りたいが、鍵を掛けられて、閂と警察と狂人看護人の下にある。[第579信]
ゴッホの手紙にはたくさんの作品の名前がでてきます。「ひまわり」「糸杉」「種撒く人」、こんな言葉がでてくるたびに、あぁあの作品はこのような状態で生み出されたのかと思いますし、聞いたこともない作品名だと、もしかするとその作品はもはや失われてしまったのか、と狂おしくもなります。ゴッホが37歳で自殺しました。手紙の中にはそれを予感させるような文面も残されています。
多くの画家たちは、- 敢て彼らについて語れば – 死んで埋められていても、その作品を通じて次代から数代あとまでの語り草になる。
それだけで総てなのか、又はもっとほかに何かあるのか。絵かきの生涯にとって恐らく死は彼らが遭遇する最大の苦難ではあるまい。[第506信]