電車の中で編み物するのはけしからん!怒る人

突然ですが、電車やバスの中で編物をしますか?この間インターネットをぶらぶらしていたら、「電車の中で編物するのはけしからん!」というような主張を読みました。「〈編物〉術・毛糸に恋した 」(群ようこ著,晶文社,1986)では、その対策として輪針を使う、という提案をしています。これだと針が短いため電車の座席で両隣の人の顔先に針が行かない、ということです。なるほど、と思いましたが、ふと昔のことを思い出すと、電車の中で編物している人は今より多かったはずですが、新聞の投稿などで、けしからん、というような意見はあまり目にしなかったような気がします。まぁ、住宅街の中に鉄工所があって、朝から晩まで溶接の火花を散らしていても、ある程度容認された時代でしたから、そんなことに一々文句を言わなかっただけかもしれません。しかし、昔と今とでは「編む人」に対する見方が変わってきていることもあるのかもしれません。昔、電車の中で編んでいる人はだいたい子供や家族のものを編んでいた、すくなくとも周りの人をそのように思っていたようです。だいぶ前になりますが、快速電車の中で編物をしている女の人の向かいに座った老夫婦が、微笑みながらじ〜っと何も言わず編む手元を見続けていたことがありました。おそらく、話し掛けるとじゃまになると思ったので黙っていたのでしょうが、とても印象的な光景でした。「母さんの歌」にあるように、木枯らしから子供の手を守るために、寸暇を惜しんで編物に励む母親、というような暖かいイメージが編物に込められていたように思います。
ところが、時代は変わりました。おばあちゃんが寒いだろうと厚着をさせようとすると、寒さへの抵抗力がつかない、とおかあさんに反対されたりするようになりました。寒い思いをさせたくないのなら、スーパーに行けば暖かい手袋が安い値段で手に入ります。このような時代では電車の中で編物をする人は、もはや趣味で編んでいるとしか見てもらえないでしょう。それなら、周りの迷惑にならないようにしろ、というのも分かります。そのためかどうか分かりませんが、この前、バスの座席で大きな紙袋を出して、紙袋の中でこそこそ編んでいる人がいました。本人は一生懸命隠しているつもりなのでしょうが、紙袋がガサガサいうので、余計に周りの人が怪しんで振り返ったりしているのですが、それにも気づかず編んでいました。こんな人は仮に、車内アナウンスが「え〜、バスの中ではぁ〜携帯電話とぉ〜編物は〜周りの方のご迷惑になりますのでぇ〜ご遠慮願います〜」と流れても編んでいそうですね。厚かましいと怒るか、見上げた根性だと心の中で拍手を贈るか、さぁ、あなたはどっち?

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