シェットランドの編み物の歴史は価値を認められなかった

Knitting By The Fireside And On The Hillside;'(Linda G. Fryer,1995,The Shetland Times Ltd)、今日この本がエアメールで届きました。題名がいいとは思いませんか?「暖炉の側と丘の上の編物」です。詩の一節からとられたとのことですが、脚韻の効いた素晴らしい書名です。この本は編物技法の本ではなくシェットランドの編物の歴史書なのです。序文を少し訳してみます。

伝統的にシェットランド経済は、漁業、小規模農業、編物で成り立っていた。大雑把に言えば、漁業からの収入を借金の返済にあて、農作物は自家の食料となり、編物は家族の衣類となると同時に地域経済の副収入となっていた。手編みがシェットランド経済に常に果たしてきたこのような重要性にも関わらず、歴史家には価値を認められず放置されつづけてきた。すなわちシェットランド編物産業に対する包括的な研究は、これまでまったくなされてこなかったのだ。

これが、本の始まりです。重要な役割を果たしてきた編物の歴史が、なぜここまで軽く扱われなければならないのか、その憤りが文面から伝わってくるような気がします。表紙の写真は、二人のシェットランド女性がカメラのほうを向いて立っているものです。厚手のブラウスに長いスカートをはき、背には籠にあふれるほどの泥炭をかつぎ、そして手には靴下を編む針が輪に握られています。顔は黒く、逞しい身体は男性を思わせます。表情には一点の陰りもてらいもなく、静かにカメラを見つめています。彼女たちはこれから写真の遠景にある丘の向こうへこの泥炭を運んで行く途中なのでしょうか。
私たちは編物を完成させるまでの長さを「一週間かかる」とか「三日で編める」などと時間を使って語ります。しかし、この地の人達はこう言ったそうです。

「靴下一足は15Kmで編み上げます。」

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