手作りの苦難を思いかえしてみる…

「手作り」というと、今の人はどのような印象があるでしょうか?一品一品に技巧を凝らして作り上げる高級品というイメージがあるでしょうか?あるいは、形がいびつで底が黒焦げになってしまった、プレゼントのクッキーを思い浮かべるでしょうか?どちらにしても、悪い印象はないと思います。
しかし、昔はそうではありませんでした。私たちが頂いたメールの中に、子供の頃にミッキーマウスの編み込みのベストを編んで自慢して着ていたら(すごい腕前ですよ)、友人のお母さんから「あら、手編みなの?」と聞かれ、なぜか恥ずかしくなってそれから編物をやめてしまった、という方がおられました。
「手作り」=「貧しい」というようなマイナスイメージがあったのは、ついこの間のことなのです。西岸良平作「夕焼けの詩」(ビッグコミック)は、昭和30年代の景色で埋め尽くされたマンガですが、この作品の中でも、編物は何度となく編み直され、糸がやせて足らなくなったときは妙な色の糸を足し込むため、きわめてみすぼらしいものになるという風景が描かれています。
個人的なノスタルジーを越えて、古代ギリシャにまでさかのぼると、そこでも手作りの印象は冴えません。6泊7日のヨーロッパ旅行でも必ず見に行くというミロのビーナスを生み出した誇り高きギリシャ彫刻というのに、多くの作品は作者不詳です。作者がはっきりしている場合でも、例えば完全無欠の代名詞にまでなっているクニドスのビーナスを作ったプラクシテレスの名前を知っている人は少ないのではないでしょうか。少なくとも、ソクラテス・プラトン・アリストテレス・アルキメデス・ユークリッドなどとは比較になりません。どうも、この時代の価値観では、このような抽象思考のほうが、手を動かして物を作るより遥かに高級だったのではないかと思われます。(え?今もそうですか?)
時代は変わって、身のまわりのものはすべて量産品になり、みずから作り出すものがどんどん少なくなってきました。そのために手作り品の希少価値が高まり、時にはもてはやされ、おどろくほど値段がつくこともあります。それでも名工がひねり出す茶碗とは違って、編物には何千万円もの値段がつくことはありません。その百分の一でもひっくり返りそうになる人もいるでしょう。
しかし、そんなに悲しむべきことではないかもしれませんね。それは、ガラスケースの中で一生袖に手を通されることもなく古びていくセーターがないということでもあるのですから。


2016.2.8 追記
「夕焼けの詩」についての、この記事はコミックス18巻13話「手編みのセーター」についてのもの。このストーリーは、編み物に詳しい人間から見てもおかしな点がなく、驚いた記憶がある。

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