時分の花ってあるんでしょうかね〜

皆さんは、何歳くらいから編物を始めましたか?世阿弥の「風姿花伝」の最初を読みますと、能は大体7歳くらいから練習を始めるみたいです。昔のスコットランドなどでもこの年齢くらいになるともう編物をしていたようです。7歳というと小学2年生ですか。本当に凄い編手になろうとするならこの辺から始めないといけないんでしょうかね〜。「風姿花伝」は能の本ですが内容はとても濃くて色々な技芸に共通する事が多いように思います。

因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。初心よりの芸能の数々は、因なり。能を極め、名を得る事は、果なり。しかれば稽古するところの因おろそかなれば、果を果すこともかたし。これをよくよく知るべし。また、時分にも恐るべし。去年こぞ盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間にも、男時おどき女時めどきとてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、必ず、またわろき事あり。これ、力なき因果なり。これを心得て、さのみ大事になからん時の申楽には、立ち会い勝負に、それほど我意執がいしふを起さず、骨をも折らで、勝負に負くるとも心に懸けず、手をたばいて、少な少なと能をすれば、見物衆も、これはいかやうなるぞと思い醒めたる所に、大事の申楽の日、手立を変えて、得手の能をして精励を出せば、これまた、見る人の思いの外なる心で来れば、肝要の立合、大事の勝負に、定めて勝つ事あり。これ、珍しき大用なり。このほどわるかりつる因果に、またよきなり。

すべては因果であって、練習という因があってこそ、能の勝負に勝ち、名をあげるという果が得られる、とここまでは努力の因果ですが、ここから時分の因果になります。去年が盛りだったら、今年はそれよりよくない、良いときがあれば悪いときがある、だから大事でない勝負は負けても気に懸けず、控えめに能をしていれば見物人もつまらないと思ってしまうだろうが、そのあとで、大事な舞台のときに、得意な能を気合を入れて舞えば、見ている人に意外な気持ちが生まれて、必ず勝負に勝てる。
というような内容ですが、最近私たちはこの内容にとても納得させられます。私たちがホームページを充実させてきたのは去年の暮れなんですが、そのときはいくら力を入れて内容を充実させても、反応も少なく、来てもらえる人もあまり増えませんでした。それでも、一つ一つ内容を追加していって、やれやれ一段落というときに、検索エンジンに登録されたり、立て続けに雑誌に載ることになったりして、来てくれる人もうなぎ上りになってきました。最近はあまり大きなコンテンツを追加していないのにな〜、と思うと本当に「時分の花」という言葉がぴったりだと思います。「風姿花伝」によると当然、また落ち込むことになるわけでしょうが、次の果のためにまたせっせと因に励みます。もし、最近つまらないな〜と思うことがありましたら、それは次の充実の予告編を見ているのだと思っていただいて、今後ともよろしくお願いします〜。(笑)

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