広瀬光治先生とナンシー関さん、どちらも大好きなのだが…

私たちは広瀬光治先生のファンです。どれくらいファンかというと、上京したおり三省堂書店のサイン会場に行ったくらいです。しかし、本を買わないとダメだということがわかり、サインはもらえませんでした。しかし、困ったことに(困る必要もないのですが)、私たちはナンシー関さんのファンでもあるのです。どれくらいファンかというと、サイン会ならぬ「スタンプ会」(ナンシー関さんは消しゴム版画家です)に時間前に並んで、買った本にスタンプを押してもらい、あまつさえ、たた夫が本に版画を押してもらっているところを、たたが激写!した写真を持っているくらいです。

この二人の間連をご存知ない方は、ナンシー関著「テレビ消灯時間2」(文春文庫,2000年8月10日)を買ってみてください。広瀬先生に対するこのような記述があるはずです。(週間文春の掲載日は ‘97,12,4)

気になっていた人もかなり多いとは思うが、かなりのキャラクターである。ひとことで言うなら「フェミニン」。おそらく三十代と思われる男性ではあるが、その女らしさと言ったら抜群である。きゃしゃな体を、毎回自作のニット(絶対に肩パッドが入っている)に包み、どんな事があっても両ヒザをピタリとくっけて座るたたずまいは民放という空間に置かれたらば瞬時に「餌食」とされるであろう。

う〜む。「三十代」→「四十代」のようにディテールでは違いもありますが、この描写力はすさまじいです。これに対して、広瀬先生は「クロワッサン」1999年8月10日号で次のように語ります。

「それを(たた注:ナンシー関さんのコラム)講習会に来ていた会員の前で読んで、どう思うかを聞いたんですね」
失礼だとの怒りの声もあったけれど、むしろ肯定的な感想が多かった。
「あれだけチェックしているからには相当熱心に見ているということ、むしろ広瀬さんのファンなんじゃないかと。私自身は、困ったなという思いのほうが強かったんです」

ナンシー関さんが広瀬先生のファン?う〜ん。それじゃ、それじゃもしかしてナンシー関は神田うのや、サッチーのファンでもあったのくわぁ〜〜〜。もう私たちには判断できません。最後にナンシー関さんのコラムの続きを引用して終わりたいと思います。

広瀬先生は、このまま結界の中でしあわせに過ごしてほしい、と思う反面、民放に引っぱり出されて凌辱される姿も見たい気もするが。


2016.2.9 追記
ナンシー関さんは、2002年6月12日に急逝されました。この記事からわずか一年後の訃報は衝撃でした。

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