子供が生まれて編み物を始めるって本当にあるんだ!

昔の会社の友人に子供が産まれて、私たちの家に連れてきました。その時に話をしていて、子供のものを編んだと聞いて驚きました。とても、編物をするようなタイプではなかったからです。「う〜ん。○○ちゃんでも編物するのか〜」子供ができると、これまで手作りに無縁だったような人でも編物をしたりすることがあるのは知っていましたが、実際に目にすると改めてびっくりします。当然それは子供のためというよりは親自身の満足のほうが大きいわけです。「精神科医のモノグラフ」(大平健著,1994,岩波書店)を読むと、親はどうしても「昔なつかしい玩具、昔自分が何より大切にしていた筈なのにいつの間にか消えてしまった玩具」を子供に与えてしまう、と書いてあります。どこも同じですね。そして「こういう玩具に限って愛する我が子は見向きもしないのだが、買った親の方は甘い思いに浸り続ける」ということになります。ある父親は娘しかいないのにスーパーサーキットを買ってしまった、という話のあとで、母親の出番になります。

男親たちが玩具を巡って少々愚かなことをしでかすのに対し、女親たちが「玩具ぐらい子供の好きなようにしてやれば」と鷹揚にしていられるのは、彼女たちが夫たちより大人だからというわけでは断然ない。彼女たちには別の形で自分の夢を込める道があるのだ。
幼い我が子に服を買い、あるいは服を作ってやる時、母親たちは、品のよい、可愛い子になるようにと希いを込めている。また、今もし自分が少女であるなら着たいと思うに違いないような服を娘に着せてみている。親の務めと称して自分の子供を生きている着せ換え人形にできるのは、母親たちに許されている特権なのだ。
しかし、女親たちのこの密かな愉しみは、長続きしない。成長するにつれて子どもたちは、自分の着る服は自分で選びたいと主張し始めるのだ。初めの内はおずおずと、そして間もなく断固と。

雑誌を見ると、子供に自慢の大作のセーターやカーディガンや、ときにはドレスを着せている写真を見ることがあります。可愛らしい写真もたくさんありますが、中には自己満足?のような写真も見かけます。しかしいきなり、ものすごいおっさんが可愛らしいフェアアイルを着せられている写真なんかを見ると、着せ替え人形はやっぱり子供までにしておいたほうが安全かもしれないと思うことがあります。しかしたた夫もいい歳をしてアーガイルセーターなんかを着ています。結構似合ってると思っているたたも他人の目から見るとやはり自己満足?

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