「伝統ニット」に対する思い入れは人によって様々なようですが、私たちの感じでは「伝統ニット」をそれほど魅力的なものと考えない人のほうが多いようです。私たちも「伝統ニットにはあまり興味がなかった」というようなメールを結構もらいました。再びアリス・スターモアの Fishermen’s Sweaters の話になるのですが、この本の序章で彼女はこう書いています。
世界中のあらゆる伝統ニットの中で、すべてを輪編みにするフィッシャーマンズガーンジーの編み方こそが、最も技法的であり、洗練された見栄えを持っている。これが私の主張であり、偏向なしに見た際にそれが信じられていないことに対して異議をとなえるものである。
アリス・スターモアはシェットランドで生まれて、「話すことを覚えるように」編物を覚えた、おそらく最後の世代のニッターです。彼女はプロのデザイナーとなり、様々な伝統技法に精通するのですが、それでも輪編みのガーンジーほど「私の細部への視線・編物の数学・構成の専門技法」を満足させうるものは他にないと言い放ちます。この自信、この過激な宣言、これを一読して連想されるのは、メアリー・トーマスです。メアリー・トーマスはおそらく20世紀でもっとも影響力のあった編物本 Knitting Patterns の中で次のように書きます。
農夫の衣服はとても単純であり、すべての努力は生地を色彩やスパンコールやビーズや刺繍で飾りたてることに向けられます。(中略)これらのパターンは小さな紙切れや木片、時にはテーブルの上で考えられます。他の生地から借用する場合であっても、それを書き留めることはありません。とても考えられない!編地は丸く、継ぎ目無しに編まれます。それは、衣類が収められる人体があたかも鎧のように円筒をつなげたものとみなされるからなのです。これ以上ないほど単純です。
メアリー・トーマスはロンドンのジャーナリストです。輪編みをもとにした古い編み方に関しては敵意すら感じさせる筆致でこき下ろしています。彼女は古い模様を集めるのにとても熱心であったようですが、伝統的な編み方・造形のありかたには価値を認めていないようです。直後の章で、彼女は「モダン」な編み方として Flat Knitting を大きく取り上げ、その立体造形理論が過去の編み方よりいかに優れたものであるかを語ります。よくは分かりませんが、ニットウェアを内職からファッションに向上させたという自負心があるのではないかと思うほどです。たしかに現在のニットウェアの主流は平編みであり、それによってニットウェアのシルエットは洗練されたものになったことは、昔のガーンジーセーターと並べてみれば一目瞭然です。
アリス・スターモアが前述の文章を書いたとき、このメアリー・トーマスの文章は当然念頭にあったのではないかと想像します。その上で、いったん切り捨てられた伝統技法に対する復権を語っているのに違いありません。これはおそらく彼女のアイデンティティを掛けた宣言なのではないでしょうか。ロンドンという都会とシェットランドという田舎、そしてイングランドのジャーナリストとスコットランドのニッター、傍観者の立場である私たちは、無責任かもしれませんがどうしてもそこになんらかの対決・因縁めいたものを想像してしまいます。
正直なところ、私たちには伝統的な輪編み技法の復権は、今後もおそらくないとしか思えません。シェットランド伝統技法は、今日のニットウェアに対する様々な要求を満たすだけの柔軟性は備えていないのではないでしょうか。しかし、Fishermen’s Sweaters を見ると灰色の空が続くスコットランドの海岸にモデルが立っています。ほとんど色彩らしい色彩のない冬の海岸をあえて背景に選んだのは、この風景の元でこそガーンジーは引き立つのだという思いからでしょうか。それとも、都会の流動的なファッションとは別の場所に立ち、時代の逆風にしっかりと耐える伝統を今生み出すのだという決意なのでしょうか。いずれにしても、私たちはアリス・スターモアのアイデンティティを掛けた創作からは目を離すことができないのです。