歩きながら編むのは、労働の一部だった!(1)

以前、Knitting by the Fireside and on the Hillsideの表紙に、二人のピートを背負った女性が編物をしている写真があることを紹介したのですが、この本を読んでいて、その写真の説明のところまできました。シェットランドは地域産業がなかなか根づかず、未婚の若い女性は漁業の最盛期には家事労働のために一時的な雇用があったことを紹介したあと、「歳とった女性」についてこのように書きます。

歳をとった女性は、丘からラーウィック(訳注:シェットランドの州都)の街までピートを運ぶ仕事に雇われた。この労働は靴下を編むことがセットになっていた – 写真 2.1 参照。この奇習はしばしば旅行者によって記録されている。例えば裕福なアマチュア科学者である、ジェームスウィルソンは1841にシェットランドを訪れ、ラーウィックのFort Charlotte から戻る際、日記にこう書きしるしている。

…女性の群れが背負子や藁の籠に、丘陵の苔地帯のピートを背負って、終わりのない旅を歩んでいる。彼女たちの両手は熱心に編物をしている。

私たちは、ピートを運びながら編物をすることは知っていましたが、ピートは自家用のもので、編物は内職と思っていました。つまり、女性の自主的な作業と感じていたのです。しかし実際は、そうではなく、「労働」だったのです。この世に「ピートを運びながら編物を編む」という労働があろうとは!いかに物事の本質を見ようと心がけていても、知らず知らずの間に時代の思い込みというのは入ってくるものです。マルコポーロの昔から「見聞録に誤りなし」と言いますが、直接見て、聞いたこと、それ自体がいかに間違いのない事実であっても、そこから正しい理解を得るまでには、まだ長い道程があるのだなぁと思わずにはいられません。

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