カリスマ・ニッターEZ(4)

前回、EZのカリスマ的人気は、アメリカ人全体の精神的祖母の立場に立ったことにあるのではないかという想像をしましたが、この「祖母」という立場から必然的に帰結するようにEZの考え方には、反近代的な部分が濃厚にあります。EZはニッターズアルマナクの中で、「幾つかの恐ろしい結果を生み出した近代技術」なら別かもしれないが、編物に関して言えば、「有史以前からの素材を使って編物をしていると」果たして「本当に新しいと言えるものが一つでもあるのか」疑問を呈します。そして、人間の指には記憶があって、それに編物の技術が伝わっているのではないかと考えます。つまり、一見新しいものを生み出したように見えても、それは単に指の記憶がよみがえっただけではないかというのです。

これは、比喩ではありません。彼女は、ヴォーグ社にアランセーターを提供することになったとき、どのようにしてアランセーターを編んだらよいかまったく分からなかったそうです。そこで、EZはニッティングキャンプに行きます。つまり、大自然の中で編物をするのです。EZたち一行は、ミシシッピ川の近くにキャンプを張り、キャンプファイアや水泳を楽しみます。そして、初夏の完璧な一日、ミシシッピの波を感じながら一日中編物をしていたとき、彼女は突如白昼夢に襲われます。

(前略)それは本当の夢ではなく、私の指がどう編めばよいかをはっきりと分かっていて、長い時を越えて再び現れることが出来たことを喜ぶという、激しい情動でした。

このようにEZは、アランセーターの編み方を思い出します。同じように、彼女は手紡ぎの方法を誰にも教わらず、指の記憶を元に紡ぐことができたと語ります。

最初にこのあたりの文章を読んだとき、あまりにもオカルトチックで、何かの比喩を語っているのを、私たちの英語力が貧困なために読み間違っているのかと思いましたが、どう読んでもそうではなさそうです。私たちの目から見るとEZはシンプルなスタイルの中に確かな造形力を持ったデザイナーではないかと思うのですが、彼女にとってそれは個性ではなく、自分の体を通じた伝統の復活なのです。

近代科学に背を向けて、森の中で隠匿生活をするEZ。略号で編物を解説するのに嫌気が差して出版社を辞め、普通の英語で編物を語ろうとしたEZ。テレビのセットという虚像の自宅からメッセージを電波で発信するEZ。編物ビジネスを成功させ、実の娘メグ・スワンセンに後を継がせたEZ。自分の創造性を自ら否定し、その結果自らを遠い昔からの伝統編物技法を直接伝える預言者のような立場に祭り上げたEZ。アメリカ人ニッターの心に今も生き続ける、カリスマニッターEZ。その実像は、独創性と頑固さと不思議と矛盾に満ち、簡単なプロフィールを描かれることを今も拒否しているような感じがするのです。

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