EZの遺産

EZに関してはいったん終わりにしようと思っていたのですが、偶然にも興味あるサイトを見つけましたのでもう一回追加したいと思います。このアメリカの編物サイトのオーナー、エマという人は弁護士をしているということです。職業柄でしょうか、この記事も極めて慇懃な調子で記述されていて、見たことのない単語を辞書でひくと、(formal)だらけです。(笑)

How the myth of unvention subjugates knitters

記事のタイトルは、「どのように unvention の神話がニッターを支配しているか」です。この unvent という単語は、辞書を引いてもでてきません。実は、EZの造語なのです。ニッターズアルマナクの中で、初めて unvent という言葉が出てきたときは、なんじゃこれは?と思いましたが、実はこれは invent(発明)という単語をずらして作った言葉だったのです。in- という接頭語は否定を意味します。(visible ‘見える’ → invisible ‘見えない’など。) un-という接頭語も同じく否定を意味します。(lock ‘鍵を掛ける’ → unlock ‘鍵を開ける’など。)ですから、unvent は invent (発明)と同じような意味というわけです。ニッターズアルマナクのその部分を引用します。

“unvent (再発見?)” という言葉が気になりますか?私は好きなのです。発明という言葉は私にはもったいぶってうぬぼれた感じがします。私が自分を編物発明家だと想像してみましょう。グラフや図形が壁に掛けられた、分厚い書物がいっぱいの研究室に白衣を着ていたりするのでしょうか…。だいたい、私は自分の高邁なデザインを辛抱強くいつまでも実際に編んでくれる沢山の編み子を、奥の部屋に控えさせておいたりしません。

ばかばかしい。

でも、un-vent(再発見)、ああ。人は何かを再発見します。人はそれを発掘し、掘り起こします。 人は埋もれた”永遠の思考”の戸棚からなにかを探し当てます。私は書物が発明される前からあったウールを使って編物をしていると、この世に本当に新しいものなんてあるのかという気になるのです。

エマは、EZが unventという言葉を慎み深く謙虚に使っていることを認めながら、しかしそれでもこの考え方は問題だと書きます。このような造語を作るということは、普通のニッターの創造的な活動の価値を引き下げることになり、創造性をスポイルすることにつながると主張します。

その論旨を展開する上で、彼女は最初に、EZがunvent という言葉を作る基点となった、inventという言葉のイメージが誤っていると指摘します。発明とは、隔離された場所で書物を読んでいるだけで生まれるものではない、実際の発明は必要に応じて現場で色々と試行錯誤しているうちに生まれるものである、とし、EZが自分の本で色々な技法を苦心して生み出しているところを引用し、これはすなわち発明家の姿そのものである、と断じます。

二つ目に、EZが上記の比喩の中で、invent とは企業活動によって生み出されるというイメージを打ち出したために、商業的な地位を持つニッターと平均的なアマチュアニッターとの間に格差が生じたと主張します。つまり、商業ニッターは invent し、アマチュアニッターは同じことをしても unvent に過ぎない、というおかしな差別意識が生まれていると言います。

その例証として、次の二つの事例を挙げています。(1)あるアマチュアニッターがメーリングリストに2本の輪針を使って靴下を編む方法(私たちが紹介した方法でしょう)を投稿したところ、その技法はジョイスウイリアムスというニッターが発明したとされていたために非難をされたと言う事例(投稿した人は少なくとも、10年以上もその編み方をしていたらしい) (2)段染め糸を上手く扱う方法(どんな方法でしょうね?)を投稿したニッターが、別の職業ニッターが教室でその技法を教えていたために激しく非難されたという事例。

エマは、弁護士らしく技法には著作権が及ばない(ただし特許をとることは出来る)にも関わらず非難されたこと、さらにいずれもアマチュアニッターが非難される立場に立ったことを憂慮します。

結論として、商業ニッターが法的な根拠もなくアマチュアニッターの貢献を押さえつけるような動きに対して、もっと疑問をもつべきである、と結ばれています。

私たちの要約では伝わらないかもしれませんが、オリジナルの文章は極めて論理的に構成されていて圧倒されました。正直言って日本人的な感覚では息苦しいくらいです。このような文を読むと、自然に「ペンは力なり」という言葉が浮かんできます。いや、このパワーはすごいです。私たちも、もっと明快に明晰に文章を書く勉強をしないといけませんねぇ。やりすぎはいけませんが…。おぉっっと、また文末を濁してしまいました〜。

「ワーキングガール」という映画の中で、シガニーウィーパー演じるキャリア女性が最後に主人公の秘書のアイデアを盗用したことがばれて首になるというシーンがあるのですが、部下のアイデアを盗んだだけで首にされて当然というこの感覚は、映画の上のこととは言え、物凄いなぁと感心します。それだけに、人の知的活動に対する差別には断固として声を上げようという、このエマのような人がアメリカには存在するのでしょう。

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