もっともっと上達したいと思うと、きりがないですよね

前に毛糸の買い過ぎに注意しましょう、というようなよもやま話を書いたのですが、きりが無いのは毛糸や本ばかりでなく、技術も同じですね。もっともっと上手になりたいと思うと本当に息苦しくなるときがあります。夢窓国師「夢中問答」には次のような話が見えます。

中比一なかごろひとりの老尼公ありき。清水に詣ふでねんごろに礼拝をいたして、願はくは大悲観世音、尼が心にいとはしき物を早く失ふてたび候へ、とくりかへし申しけり。傍に聞く人これをあやしみて、何事を祈り申し給うぞと問ひければ、尼がわかかりし時より枇杷をこのみ侍るに、あまりにさねのおほきことのいたはしく覚ゆる程に、年ごとに五月の比はこれへ参りて、比の枇杷のさねをうしなふてたび候へと申せ共、いまだしるしもなしと答へけり。たれだれも枇杷を食する時は、さねのうるさき事はあれ共、観音に祈りもうすまでの事にはあらずとて、おかしくはかなき事に語り伝へり。

歳とった尼が清水で観音菩薩に「あのうるさいものを早く無くして」と繰り返し祈っていたので、なにを祈ったのか聞くと、若いときからビワが好きだったのだがあまりにも種が大きいのがうるさいので、毎年五月にはここに来て祈っているが、まだなにも効果がない……という話です。

確かに誰にとってもビワの種はうるさいが、なにも観音様に願を掛けるほどのものかという説話ですが、もっと大きく願を掛けると言って、仮に世界一のニッターにさせてください、と祈ったとしても、ビワの種とどれほどの違いがあるか!と国師に喝を入れられそうですね。凡夫にとっては枇杷の種よりも十分大きすぎるんですが….

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