手編みの技術は進歩し続けているのでしょうか?

技術というのは時間と共に向上するという思い込みは相当強いものがあります。しかし、たとえば中国の青銅器は、殷の時代のものがもっとも素晴らしく、周や戦国時代のもので殷の青銅器に匹敵するほどの名品にはまず出会えません。青銅の殷器は現在の技術をもってしても再現不可能ということです。殷の時代は奴隷の時代で、奴隷の命はとても軽く、ことある毎に生け贄として殺されていたようです。後世の、焚書坑儒で悪名高い秦始皇帝でさえ、自分の墳墓を焼き物の軍隊で守らせましたが、殷の墳墓では実際の人間や馬が埋められていることがあったそうです。おそらく黄泉の軍隊として働かせるために殺されたのでしょう。世界中の好事家の垂涎の的である殷器を作ったのも奴隷です。殷の青銅器は怪物のような動物をかたどった酒器が多いのですが、渦巻くような生命エネルギーが本体から発せられていて、見るものを釘付けにする迫力を持っています。作家の陳舜臣氏は、これは役に立つものを作れなければあっさりと生け贄にされてしまう時代にあって、生存をかけて作り上げた工人の生命エネルギーではないか、という意味のことを書いておられます。見るものの魂を奪うか、自分の命が奪われるか、この極限状態から生み出された芸術がその後の時代に見られないのは、むしろ心の安らぐことではないかと思います。
これほどの極限状態ではないにしても、「紀行アラン島のセーター」(伊藤ユキ子,1993,晶文社)を読むと、著者の伊藤ユキ子さんは当初、海に働く夫の安全への祈りを込めてセーターを編む妻、というロマンチックなアランセーター伝説を追ってアラン島に渡るのですが、現実はもっと厳しいものだったと知らされたといいます。

(前略)観光客が呼べるということに気づくまで、島は手のほどこしようがないほどの貧困におおわれていたという。そんなどん底生活のなかで、女たちは編みに編んだ。趣味でもなく内職でもなく、もっと切迫したもの、家族の生をつなぐために編んでいたというのである。

遠い未来の人からどう評価されるかは分かりませんが、現在を生きている私たちにとって、楽しみながら編物ができるということはこれ以上ない幸せなことだと感じずにはいられません。

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