わざわざ感動に近づいていく?

知る人ぞ知る俵万智さんの「短歌をよむ」(岩波新書)は短歌を作る苦労や裏話が多くて楽しい本です。俵さんは「サラダ記念日」が売れてから、どこそこへいって地名を盛り込んだ歌を何首作ってほしいというような依頼がたくさん舞い込んだそうです。歌は感動したからできるのであって、「わざわざ」作ろうとしてもとてもできるものではない、と俵さんはそういう依頼を引き受けられなかったと書いています。ところが、佐々木幸綱先生から「素材を狩る」ことを勧められます。つまり、テーマを絞って集中的に歌を作るということです。

「(前略)何をテーマにするかというところで、すでに個性も出るんだよね。君には、花なんかいいんじゃない」
確かに私は花が大好きで、花の短歌は多いほうである。しかしそれは「たまたま」花を見て心が揺れたということ。先生は「わざわざ」花を眺めて作ってごらん、と言うのだろうか。
「そう、わざわざ。今までと違う作り方でやってみる。君は短歌を並べるのは得意だけど、そういう意識的な連作はほとんどないだろう」

自然に感動が生まれ、歌になるという気持ちから、「わざわざ」感動に近づいていくという試みの意外さが面白くてこの部分は心に残る一節となっています。これを編物にあてはめるなら、色々と編みたいと思うセーターを編んでいたが、ある程度上達したら今度は「わざわざ」特定のテーマに絞り込んで編み込んでみる、という上達方法になるのでしょうか?私たちはそこまでしたことはありませんが、いっちょうやってみますか。「徹底的に赤にこだわる」とか「フェアアイルを極め尽くす」とか、う〜んプロっぽくてカッコイイ言葉ですね〜。腕の伴わない、言葉だけのかっこよさではどうにもなりませんが。(がっくり)

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