日本にもガーンジーがあった。ガーンジーの伝説(6)

ガーンジーセーターの魅力は、フォークロアの魅力と言ってよいだろう。ガーンジー以外の伝統ニットの多くは実は商品性が高い。ひなびた観光地のお土産店で品定めしていると、いかにもその地方の民芸品のように作られているのに、ひっくり返してみると Made in China と書いてあってがっかりすることがある。あるいは、はるばる海外に出向いてお土産を買って帰ったら、実は Made in Japan だったということも珍しくはない。お土産品は、仮に生産がその地方だとしても、あくまでも製品として開発されたものが大部分だといっても過言ではない。ニットウェアも例外ではなく、いかに地方色があるように見えても、それは差別化ためのキャッチコピーに過ぎない場合が少なくないのだ。

それに対して、ガーンジーセーターは長い間にわたり、漁村の人たちが編んできたもので、基本的には商品ではなく自家用のセーターである。今のように交通網が発達していないため、イギリス沿岸の各地で無数のバリエーションが生まれた。何の変哲もない地味な紺色のセーターだが、研究家が見れば、どこの地方のどの時代のものかがすぐに分かる。このようにフォークの魅力を持ったセーターは他にはちょっと考えられないだろう。

実は、こういうフォークロアとしての編物は遠いイギリスではなく、私達にもなじみのあるものだった。今、趣味としての編物といえば、書店に行って編物本を探していいデザインを見つけ、そこに指定された糸を手芸店で購入して編むというスタイルが多いだろう。もちろん、こういう方法は100年以上昔から存在しているわけだが、一方で、これとは一味違う楽しみ方もあった。私達は、それを真の「フォークロアニット」と呼んでいる。おそらく、すでに若い世代の人たちは「フォークロアニット」を知る人はほとんどいないだろう。私達は「フォークロアニット」を証言できる最後の世代となるような気がしている。

私達の母・祖母の時代は今のように様々な種類の毛糸はあまり手に入らなかった。毛糸といえば「中細毛糸」、素材は基本的にはウールで、ウール100%なら上等な糸、安物は、ウール風の化繊で出来ていた。編み針は今で言えば3号以下くらいのもので、手編みに必要な道具はほとんどこれで終わりだった。買ってくる毛糸も、今のような玉巻き毛糸より、市場の露天で山積みにされた、どこから仕入れたか得体の知れない毛糸が多かったように記憶している。母親がこれらの毛糸買ってきた日は、子供はカセくり器にさせられて、実に退屈な目にあったものだ。

例えば紺色の毛糸を多量に買い込んだら、それ以降、家族中の手袋もセーターもベストも全部紺色になってしまうことになり、否が応でも父親とお揃いのニットで出かけなければならない娘の立場を思い起こすと、今なら絶対否と言うであろう。近所でも日向ぼっこをしながら黙々と編物をするお婆さんをよく見かけたが、内職でない場合、これが楽しそうに見えた。(だからこそ、自分もちょっとやってみようという気になるのだが) 今のように、色々な娯楽がない時代なので、編物は時間つぶしにはかっこうの材料だった。家族で夕食を終えた後、薄暗い電球の下で編物をするのは、家族のためという大義名分のもとに堂々と趣味に没頭できる貴重な時間であったかもしれない。

編むものも、雑誌などで「新作」を編むこともあったが、プレーンなセーターやそのアレンジが多かったように思うが、そういう場合の編み方は今とはぜんぜん違う。まず、ゲージなどとらない。同じ毛糸、同じ針で腐るほど編んでいるのだから、お父さんなら何目、上の子なら何目、下の子なら何目、と作り目の数は決まっている。人によって違うが、とじはぎが面倒くさいし、毛糸が余分になるから、輪編みのほうが人気があったように思う。二目ゴム編みで編み始めてみたら、作り目の数を間違えていて、4の倍数にならない場合はかまわずそこで増し目をして編んでいく。脇くらいのところまで編んだら、前に編んだセーターに合わせるか、本人を呼んで体にあてがって、「これくらいでいい?もうちょっと長めにする?」とかリクエストを聞いて脇に移る。出来上がり寸法がきちんとしていれば、何段編んだかなどあまり考えない。

防寒性や編地の耐久性のために、編目は今とは比較にならないほど固く、アメリカ式でぎちぎちに編み上げる上に、毛糸をケチるため、インナーで着れるようにするため、体にフィットするように編むので、暖かいことは暖かいのだが、締め付け感があり、外から帰ってきて脱ぐとほっとした。ウールは洗濯が面倒なこともあり、家ではなるべく着なかったように記憶している。

ここまで読めば、日本のフォークロアニットが、ガーンジーセーターと多くの共通項を持っていることが明らかだろう。輪編み・きついゲージ・フィットしたデザイン・自家用、どれもガーンジーと同じだ。そして、なによりガーンジーセーターがイギリスの漁村から消え去るのに、一世代しか、かからなかったのと同様、日本のフォークロアニットが消滅するのも、同じくほぼ一世代の出来事なのである。

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