トンデモ伝説の流れを解明。ガーンジーの伝説(10)

謎はすべて解けた!のか?

 

元は商品ページ

さて「ガーンジーセーターに前後(日本では裏表)がない」という伝説の出発点と、現時点で目星をつけている Flamborough Marine Ltd.の「ヒストリー」ページだが、2001年9月22日時点では、現在とはかなり違っていた。

今は、ガーンジーセーターのヒストリーを紹介するページになっているが、かつては古いガーンジーの写真を掲載して、こういうヒストリカルなのも販売します、というアンティーク風商品ページだったのだ。ページには4種類の「ヒストリカル」ガーンジーセーターが掲載されていたが、その最後のものが非常に興味深い。(以下の引用は、この過去のページで、フォントなどに若干の修正を加え、問題の文章を赤字にした)

前後がないのはこのセーター

(省略)

Note that the patterning is the same, back and front. This means that the Gansey is reversible, so that areas which come in for heavier wear, such as the elbows, can be alternated.

Flamborough Gansey: note patterning to back and front

この赤字が問題の文章なので、もう一度訳す。

前も後ろと同じパターンだよ。だからこのガーンジーは後ろ前にも着られるんだ。肘なんかのよくあたるところが交互になるよ。

ジーンズをはいている人物のカラー写真だから、誰が見ても最近の写真だ。もともと前後が同じセーターというのは、あくまでもこのセーターの商品説明だったのだ。特定のセーターに「このセーターは前後同じ」と注釈をつけている以上、すべてのガーンジーセーターが前後同じでないことは、ショップも知っていたのだ。

後ろ姿の商品写真

不思議なことに、この商品は正面ではなく後ろを向いた写真を使っているが、正面の模様が見えないと売れないだろうから、「前も後ろと同じです」と説明文を書き入れる必要が生まれ、後ろ向き写真を載せた言い訳に、前後どちらでも着られます、と書いた。もし、それを利点と思っているなら、堂々と正面写真を掲載すればいいのに、と思ったが、文章をよく読むと「利点」とは一言も書いていない。あくまでも、「前後どっちでも着られる。こすれる場所が変わる」と書いているだけ。「消防署のほうから来ました」と言っているのに勝手に消防署員と勘違いしてゴメンナサイ!

伝説が始まる

このままだったら伝説は始まらなかっただろう。ところが、ショップは後になって、歴史ページをより古めかしく模様替えする際、伝統らしさに欠けるカラー写真をサイトから削除して、商品説明だった文を地の文にしてしまった。これが今のページだ。そうすると、”the Gansey” の “the” が示していた対象がなくなり「すべてのガーンジーは裏表がない」という説明のできあがり。(英語が苦手ならなんで?と思う人がいるかもしれないけど、具体的な指示物がある場合、the は「その」という意味だが、ない場合、後続の名詞全体を指して「○○というものは」という意味になる。つまり、「そのガーンジーは」が「ガーンジーというものは」に変化する。一文字も変えていないのに不思議な話だ)

ジャージー vs ガーンジー

この意味の変化は偶然ではなく、意図的だっただろう。わざわざ次の文を加えているからだ。

Similarly, the neighbouring island of Guernsey gave its name to the classic square-shaped wool sweater, which was designed with a straight neck so that it could be reversed.
同様に、となりのガーンジー島では、前後返せるように前ぐりのない、古い四角い形のウールのセーターがガーンジーと呼ばれることになった。

この文の最初にある「同様に」というのは、ジャージー島のジャージーと同様に、という意味である。実は、英語ではニットウェアに「ジャージー」と「ガーンジー」というふたつの言葉があるので、なんで同じものにふたつも名前があるんだ?どこがどうちがうんだ?という疑問が昔からある。そこで、人それぞれ、こっちが「ジャージー」こっちが「ガーンジー」という区別論争みたいなのが起きる。その中で一番有名なのは、平編みを縫製したのがジャージー、輪編みで作ったのがガーンジー、という説だ。もちろん、根も葉もない話だが、今でも信じている人はいるらしい。アイルランド人らしき人が「イギリスのニットがジャージー、アイルランドのニットがガーンジー、ふたつ言葉があるのは、ジャージーは英語、ガーンジーはアイルランド語だから」という珍説を書いて、叩かれていたりする。こういう、言葉の混乱に悪のりして普通のニットはジャージー、前後が同じのがガーンジー説を作ったのだ。

Wikipedia が拡散

このページの記述を、ずさんな Wikipedia の編集者が読んで、ガーンジーセーターの説明として引用した。Wikipediaの記事中、ガーンジーセーターには前後がないという説明箇所をショップの文章と比較したのが以下の文だ。上がWikipedia で、下がショップの文である。

(前略) its square shape, with a straight neck so that it could be reversed, make it a particularly hardy item of clothing.

(前略) the classic squareshaped wool sweater, which was designed with a straight neck so that it could be reversed.

赤字部分が一致している場所だ。前後がないという説明部分が全部真っ赤なのがわかるだろう。要するにこれはコピペだ。いくらボランティアでも、もう少し真面目にやってほしいものだが、Wikipedia はショップの説明をうのみにし、歴史的事実としてコピペした。

この説明文の決定的におかしい部分は、a straight neck という言葉だ。いちど、straight neck でググってみてほしい。a straight neck とは首の病気の名前だ。この言葉こそガーンジーセーターには前後がないというハッタリの急所なのに、ひどいネーミングセンスだ。最近、スマホのしすぎでストレートネックになる人が多いらしい。お互いに用心しよう。(真面目な話)

念のために同じ Wikipedia で Neckline を調べてみたが、13項目あるネックラインの中に straight がつくネックラインはない。記事中を straight で検索しても見つからない。えりぐりを作らないまっすぐなネックラインは、あわれにもWikipediaに名前さえないのだ。Apparel Search にも出てこないので、おそらく straight neck とは、この会社の社内用語か狭い範囲の業界用語だろう。そういう言葉をあたかも一般用語のように使うのは、少なくともWikipedia という場所では許されない。

このトンデモ説はずっと前からあったのだろうが、 Wikipedia に掲載されたことで、権威のある説として伝えられ始め、まず英語圏でひろがり始めたのだろう。Wikipedia の記事が最初に投稿されたのは2004年10月10日、伝説の拡散はこの後だ。私たちが前回耳にしなかったとしても無理はない。しかし、この伝説にはそれほどの伝播力はないと思う。仮に日本語のWikipediaがカレーライスの項に「カレーライス」と「ライスカレー」の違いを断定的に書いていたとしても(実際は諸説ある、と書いてある)読んだ人の何割が信じるかはわからない。身近な用語の場合は自分の常識と突き合わせて考えるので、たとえ広辞苑にあろうが、OEDになんと書かれていようが「辞書が間違っている!」と、信じない人も多いからだ。Wikipedia には、これらの辞書ほどの権威もまだないだろう。

日本で変異種生まれる

時は流れ、英語の伝説は日本にまでやってきた。ここで、リバーシブルという外来語の影響で、前後を裏表に誤訳された。しかも日本語の「ガーンジー」に普通名詞の意味はない。「ジャージー」は日本語でも普通名詞なので「ジャージーに裏表はない」などと言えば、「それはどこのジャージーの話だ?」となるが「ガーンジー」の方には、日本語ではニット衣料全般という意味がないから、知ったかぶりで「ガーンジーってさー。裏表がないのが特徴なんだよねー。フィシャーマンズセーターだからさー」みたいなことを語っても、「お前、それはどこのガーンジーの話だ?」と突っ込む人はいなかった。だから、疑われずに拡散できたのだ。

結論

謎はすべて解けた!とは言わないが、伝説の流れはだいたいこんなところだろう。

ショップの宣伝文句にはじまり、ずさんな修正、言葉の多義性とミスリード、無知な Wikipedia 編集者の引用、それを無批判で拡散する人、ミスを上塗りするように誤訳して拡げる人…、デマの流布経路はガーンジー以上に模様が多彩だ。そうそう、問題のWikipedia の記事は、よそからのコピペだらけだと議論になっている。

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