編み物のプロになってみたいという夢をかなえるとはどういうことか

編物が好きな方は、よく「いつかお店を持ちたい」とか「プロになりたい」というような夢を語ります。自分の好きなことで生活の糧が得られればそれに越したことはないとは思いますが、編物の店だけで生計を立てるのは気の遠くなるようなことではないでしょうか。マンガ家の北原菜里子さん著作の「少女マンガ家ぐらし」(1993,岩波ジュニア文庫)という本があります。北原さんは子供のころからマンガを書くのが好きだったようです。やがて「りぼん」という雑誌からデビューしてプロのまんが家となるわけですが、好きで書いていた頃からプロの試練を経て成長していく過程が、驚くほど素直に書かれています。プロになっていく過程で、いったい商業誌で描くということはどういうことなのだろう、自分を表現するということは何なのだろうと迷い、スランプに陥って描けなくなってしまうのですが、この創作の苦しみや疑問がまるで自分のことのように思えて、本を読みながらつい声援を送りたくなってしまいます。
スランプの原因を単純に書けば、当初自分の好きなもの、描きたいものを描いていたのに、やがてプロとして読者を意識して描いていかねばならないことに気づき、意識するあまり、本当に自分の描きたいことは何なのかを見失ったためのようです。しかし、この疑問は創作活動にとって根本的な疑問ではないかと思います。もちろん簡単に答えの出せることではないでしょうが、この疑問に真剣に向き合わないかぎり、どんな分野でも創作のプロにはなれないような気がします。その意味では、単純に好きだからそれで生活したいというのは甘すぎると言わざるをえません。しかし、一方で物事の根本はそう難しくなくて、北原さんがスランプを脱出できたのもやはりマンガが好きだという自分の気持ちを再発見できたからのようです。

(まんがとは自分にとって)子供の頃は遊び道具だったし、思春期には自己表現の方法、はけ口だったし、学生時代は息抜きのひとつでもあった。今は、生活のためというのが大きいけれど、でも続けている理由はそれだけはない。大富豪と結婚したって、描きたいと思う気持ちはなくならないだろうな。
今あげてきたような魅力をマンガに感じていて、それが大好きである限り、この気持ちには変わりがないと思う。ずっと描きつづけているからそれが自然になってしまって、多少の苦労は伴っても、描いているほうが安心する。悩んでしまって「もうやめてやる!」と思うことがあっても、結局帰ってくるのはここだという感じで、性懲りもなくつづけているのだから。

編物好きの方なら、この文章の「マンガ」を「編物」に、「描く」を「編む」に変えて読んで、大きくうなずかずにはいられないのではないでしょうか。

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