ガーンジー島のガーンジーが「本物」なのか?ガーンジーの伝説(13)

前回、前後同じのガーンジーセーターは、商品用にデザインされたものではないかという話を書いた。

前後がないセーターの正体。ガーンジーの伝説(12)

封筒ガーンジーと命名

前後同じカーンジーセーターをここでは「封筒ガーンジー」と名づけることにする。前後が完全に同じで、立体的な部分がないガーンジーセーターは、封筒のようにきれいに折りたためるからだ。

ガーンジー島のガーンジー

いろいろなガーンジーの古い写真を確認していて、ガーンジー島の写真にあるガーンジーセーターが、”封筒ガーンジー”だということに気づいた。それで、ますます”封筒ガーンジー”は商用のガーンジーセーターだと思うようになった。

ガーンジー島のガーンジーセーターなら、それこそ「本物」のガーンジーセーターではないか、やっぱり”本物”のガーンジーセーターに前後がないというのは正しかったのだ、と思う人もいるだろう。ところが、皮肉なことにガーンジー島には地域色のある伝統的なガーンジーセーターはないのだ。

br2ガーンジーセーターの研究家 Rae Comptonは、‘The Complete Book of Traditional Guernsey and Jersey Knitting’という書を書く際、ガーンジー島をとりあげていない。彼女が取材した場所は左の地図にあるように、コーンウォールからシェットランドまで非常に広範囲にわたる。もしガーンジー島にユニークなセーターがあれば、取材しないはずがない。ガーンジー・コンプリート・ブックにガーンジー島のセーターがないとは実に皮肉な話だ。(ガーンジー島はこの地図にさえない)

とみたのり子氏は名著「海の男たちのセーター」を執筆する際、さまざまな地方の編み手や研究家を訪ねているが、ガーンジー島での取材先は「毛糸を売る他、家庭用編機を使ってガンジーセーターを製造、販売している」「マッスィー氏」である。彼は基本的にはニッターでも研究家でもない事業家だ。その後はまるで観光案内のような記述でお茶を濁している。とみたのり子氏も、事情を知りつつ、日本人向けにガーンジーセーターの本を書くにあたって、ガーンジー島を訪れないわけにはいかなかったと思う。多くの日本人は、ガーンジーセーターの本場はガーンジー島で、それ以外の地方にもガーンジーセーターと呼ばれるセーターがあったと理解しているだろう、と判断したのかもしれない。

ガーンジーはニットウェアのこと

下の記事ですでに述べたように、「ガーンジー」という英語は、衣料品を意味する場合は、すでに固有名詞感はなくなっている。

トンデモ伝説の流れを解明。ガーンジーの伝説(10)

日本語のジャージーで考えると、いったい何人の日本人が、これはもともとチャネル諸島「ジャージー島」から来た言葉で、本場は今でも「ジャージー島」だと 信じているだろう。上の記事に書いたとおり「ジャージーに裏表はありません」と聞いたら「それはいったいどこのジャージーの話だ?」と思うはずだ。英語の「ガーンジー」と「ジャージー」とに実質的な差はほぼなく、どちらもニットウェアを示す普通名詞(形容詞)になっている。

本場って何?

では「本場ガーンジー島のガーンジーセーターです」などという売り文句はどういうことになるかと言えば、これはもう言葉遊びに近い話だ。たとえば、香港の商社が「呉服はもともと呉の国の服という意味で、実は中国が本場です。日本の皆さんに本物の呉服をお届けします」などというキャッチコピーを考えたらどうだろう。日本人が飛びついて買うだろうか?あるいは「洋服は西洋の服という意味です。アジアで作られた洋服なんてニセモノです」と言われて、そうだったのか!と膝を打つだろうか。名前と実質とは必ずしも一致はしない。常識的な話だ。ガーンジー島にガーンジーセーターがあっても不思議はない。それは、日本製のジャージーがあっても不思議はない、というのと同じ意味でだ。どちらが高品質で低価格かは、名前だけでは決まらない。


ちなみに、ホームページにガーンジーのヒストリーを書いている ‘Flamborough Marine Limited’ という会社は、ガーンジー島ではなく、上の地図の青い線を引いたフランボローという町にある会社だ。この地にも、かつては伝統的なガーンジーセーターがあったのだ。だが、ここがすべての伝統ガーンジーセーターのメッカではない。あくまでも、多様な伝統ガーンジーセーターのひとつにすぎない。日本人の伝統的ガーンジーセーターのイメージに最も近いのは、おそらく地図の左上にあるエリスキー島のガーンジーだと思う。

まあ、お国自慢をしたがるのは世界共通だから「うちこそ本家本元」と自社に都合よく脚色した歴史をホームページに書くぐらいで、本来目くじらをたてることもない。弘法大師が開いたという温泉は日本中、いたるところにあるが、自分の国のことだから常識が働くので、怪しげな伝説をおもしろおかしく語りながら、露天風呂を楽しむのも悪くないかもしれない。ところが、海の向こうのガーンジーとなると、どれほど荒唐無稽な伝説でも無批判に信じる人間がゴマンといるようで、歴史がハッタリで上書きされそうな勢いだから驚く。

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